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津田信澄

(社会)
つだのぶずみ

戦国武将。織田家臣というか信長の甥。織田信澄、七兵衛(1555年〜1582年)


末森城主織田信勝(織田信行)の嫡男として生まれる。
2歳の時に父信行が謀反の科で信長によって誅殺される。以後は(信行の家老であった)柴田勝家によって養育されたとされる。
旧浅井家臣の磯野員昌の養嗣子となり、1578年(天正6年)に員昌が出奔した後は領地の高島郡を引き継ぎ、大溝城*1の城主となった。
織田一門衆(連枝衆)の中でも厚遇を受けており、各地の合戦でも働きを見せている。
1582年、四国攻めの副将の一人に任ぜられる。が、本能寺の変後、明智光秀の女婿であったため共謀を疑われ*2、織田信孝によって殺害されている。

*1:岳父明智光秀の縄張りと伝えられる

*2:今日的には共謀説には根拠なしとされる

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