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江川事件

(スポーツ)
えがわじけん

江川卓がドラフト会議前日にドラフト外で巨人と入団契約を交わしていた事件。
翌日のドラフトで阪神が江川を指名したが、小林繁との交換トレードと言う形で一応の決着となった。

経緯

  • 1973年11月20日 ドラフト会議で阪急ブレーブスが1位指名。江川卓選手は入団を拒否し法政大学に入学。


  • 1977年11月22日 ドラフト会議でクラウンライターライオンズが1位指名。江川卓選手は入団を拒否しアメリカの南カリフォルニア大学に野球留学。


  • 1978年11月21日 当時の野球協約では前年度ドラフト指名交渉権の失効日が当年ドラフトの前々日とされており、その「空白の一日」を逆手に取り読売ジャイアンツは江川卓選手と契約。
  • 1978年11月22日 ドラフト会議で阪神タイガースが1位指名。


  • 1978年12月21日 金子コミッショナーにより読売ジャイアンツの契約を無効とする裁定。
  • 1978年12月22日 金子コミッショナーによる提言により、阪神巨人間でのトレードを前提に読売ジャイアンツは江川卓選手との契約を撤回。


  • 1979年01月31日 阪神タイガースが江川卓選手の入団を発表。
  • 1979年02月01日 阪神タイガース江川卓選手、読売ジャイアンツ小林繁選手のトレードを発表。
  • 1979年02月08日 日本プロ野球実行委員会により小林繁選手は独自による阪神への無償トレードとする。江川卓選手の登録は開幕以後としキャンプには不参加とする。またこの件は特例であり、慣例および前例とはしないことを決議。小林繁選手は金銭トレードで阪神タイガースへ入団。江川卓選手のトレードは4月7日以降と決定される。


  • 1979年04月07日 江川卓選手と読売ジャイアンツ契約を締結、入団発表。
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