元衆議院議員。
1969年9月2日、名古屋市生まれ。2009年1月3日、北九州市八幡西区のマンションから飛び降り絶命。享年40(満39歳)。
当選3回。議員辞職前は民主党に所属していた。
東京大学工学部卒業後、大蔵省に入庁。官費でUCLAに留学、MBA取得後、退庁。
初当選から在職5年の間に、過激な言動で懲罰動議を4回受けている。これ以外にも多くの物議をかもす言動をしてきたとして、楢崎弥之助の「国会の爆弾男」にならい「平成の爆弾男」として称されることもある。
2000年11月20日衆議院本会議における森内閣不信任決議案(いわゆる加藤の乱)の審議中、松浪健四郎にコップに入った水を浴びさせられる。
その原因として永田が松浪に「(扇千景と)何発やったんだ?」と野次を飛ばしたという情報が流れたが、松浪がそれを否定しているため真相は不明。
2005年7月22日外務委員会の場で他の議員が質疑中、手元にあった紙を使って折り鶴を折っていた場面が衆議院TVでネット中継されていた。
2005年12月18日、千葉県八千代市で開かれた国政報告会の場で耐震強度偽装問題に関係して『住民は火をつけたくてしょうがない、(阪神大震災では)激甚災害指定欲しさに被災者が火をつけてまわった。』という発言をした。
東スポがその証拠を入手し永田に問いただしたところ、発言を認めた上で謝罪した。
2006年2月16日衆院予算委員会で、ライブドア元社長の堀江貴文が自民党・武部勤幹事長(当時)の二男に対し、選挙コンサルタント費用として3000万円を振り込むよう、社内メールで担当者に指示していたと指摘。これがワイドショーなどで大きく取り上げられ、一躍時の人に。
2006年2月22日俗に言う「堀江メール」がガセとの見解が強くなったとたんに雲隠れする。
2006年2月28日謝罪記者会見を行うも。
「情報提供者と連絡が取れない。」
「偽者とは知らなかった。」
「まだ、メールを本物と知る証拠を握っているが出せない。」
と謝罪記者会見?というような会見を行う。
ちなみにこの記者会見後にハイカーに乗って会場を跡にしようとするも、
間違ってフジテレビのハイカーに乗ってしまうというアクシデントつき。
間違って乗られてしまったハイカーの運転手の話によると。
「落ち着きない人ですね(笑)」とのこと。
2005年8月28日、習志野市内の事務所開きにおいて、「創価学会は宗教団体として認められておらず、都の認可(※実際には認証)をもらうために学会系の都議を増やして圧力をかけなければならない」等と発言した。しかし、創価学会は1952年には宗教法人の認証を得ており(さらに平成11年の宗教法人法改正によって所轄庁は文部科学省になっていることから)、悪質な虚偽の流布として同30日、創価学会本部が名誉毀損で刑事告訴。
2008年7月18日、千葉区検察庁は書類送検を受け略式起訴、同23日千葉簡易裁判所は罰金30万円の略式命令を出した。同31日罰金を納付したことにより、創価学会に対する名誉毀損罪が確定した。