文化13年11月3日(1816年12月21日)〜明治24年(1891年)7月1日 日本の武士。三河奥殿藩の第5代藩主の松平乗尹の子で旗本の永井尚徳の養子となった。 幕末期にあ長崎海軍伝習所総督、初代外国奉行、初代軍艦奉行を歴任するが安政の大獄で免職。後に復活して将軍徳川慶喜の下で若年寄となった。大政奉還後は箱館戦争などに参加して敗北。明治政府では開拓使用掛や元老院権大書記官などを務めた。
文字霊日記・3435日目 太るも痩せるも・・・死ぬも生きるも 食い物次第・・・?・・・難民救済の「緒方貞子」氏 ナゼ 「禹豆満佐=うずまさ」 ナノのか・・・菜音(なの)か・・・? カンジ分解で下向(文析・細分)し、上向(文積・止揚) ↓↑ 独語・Aufheben(アウフヘーベン)=止揚・揚棄 合う譜(符) 併(経意) 弁(辯・卞) ↓↑ 止揚・揚棄=Aufheben ヘーゲル弁証法 低い次元で 矛盾対立 する二つの 「概念」や・・・概念の意味の止揚は判るが 「事物」を・・・事物はそれ自体が止揚物である ↓↑ 「事物・生物」のプロセスの変化 この事物は構造変化の 始~構造組織化~終~結果 ↓↑ …
2024/2/24土曜日 5時半に起床。 まずは豆麹を出麹。 今年最後の豆麹作りが終わったので発酵機の掃除。 そのまま天日干しに。 次に洗濯。 久しぶりに晴れた。 気持ち良く洗濯物干し。 最後に、今年最後の醤油の仕込み。 水と塩をよーく混ぜたところに先程出来たばかりの豆麹を入れ、更に混ぜ混ぜ。 ついでに他の醤油の瓶も櫂入れ。 これは2/15に仕込んだもの。 そして昨年3月に仕込んだ醤油。 これまでに仕込んだ醤油。 しめて8瓶。 全て櫂入れした。 やることやったら読書。 昨日から佐々木譲著「幕臣達と技術立国ー江川英龍・中島三郎助・榎本武揚が追った夢」を読んでいる。 江川英龍に関してはもう何冊も読…
世界を唸らせた日本の造船技術 「蒸気船」という当時最先端の交通機関についても、当時の日本人は旺盛な好奇心と知識欲を見せました。 江戸幕府が西洋の中で唯一外交を保持していたオランダが 1855年、スームビング号という蒸気船を寄贈します。スームビング号は後に軍艦・観光丸として活躍することとなります。 1853年のペリー来航で軍用蒸気船を目の当たりにしたそのわずか数年後には、長崎海軍伝習所で勝海舟や佐賀藩士を中心に蒸気船に関係する技術の習得が始められていました。 燃料となる石炭の扱いなど細かなことも含め、初めて手にした鉄製の工具を握り、機関の細かな仕組みや操舵技術、修理法を学んでいったのです。 写真…
俳優の佐々木蔵之介氏の実家で有名な佐々木酒造に設置されている仁丹町名表示板については、以下の記事で書いたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 2024年1月4日、久しぶりに再訪したところ、何やら石碑が建っていた。 えっ!? 徳川家康邸跡だって!? 説明文を見ると2023年6月に設置されたようだ。 大河ドラマ「どうする家康」はもう終わってしまっているが、あやかって設置したのだろうか?正面「聚楽城武家地 徳川家康邸跡」 右側面「京都所司代千本屋敷跡」 左側面「是より北 和州郡山柳沢家陣屋跡 永井尚志寓居跡」 説明板 当地は羽柴(豊臣秀吉)の居城、聚楽城(聚楽第)の南…
2024/1/25木曜日 5時半に起床し洗濯と朝食作り。 ベランダでの水やりも済ませたら8時過ぎに長女を駅まで送迎。 その足で買い物へ。 11時に帰宅後、最新情報をチェック。 12時に昨夜以来の食事。 お腹が満たされたら午後は読書。 夫が何かと話しかけてくるので自室へ退避。 15時半から入浴。 16時半から夕食作り。 煮込みハンバーグ、人参サラダ、ししゃも、牛蒡と大根と人参と蒟蒻とヒマラヤヒラタケと高野豆腐の煮物、ウォッカ梅酒ロック。 夫が食洗機にお皿を入れてくれた。 ありがたく読書する事に。 今日は午前中は岩瀬忠震本を午後は川路聖謨本を熟読。 この2人を高評価している人は多く図書館でも5冊ず…
13 再び『海舟日記』の中の俊五郎の姿を追うこととする。明治13年は1月1日に「滝村小太郎。村上俊の火鉢五ツ出来につき二十五円遣わす」とのみある。滝村小太郎は、徳川宗家の家夫溝口勝如の配下である。火鉢は徳川宗家からの注文だったのだろうか。火鉢一つ5円。俊五郎は火鉢の製作で糊口をしのいでいたのか、それとも徳川家からの特別の依頼だったのだろうか。この後も徳川宗家へ俊五郎作成の火鉢や家具を納めている事実がある。翌明治14年も「五円、村上へ遣わす」とあるだけであり、明治15年の海舟の日記には俊五郎の名を見ることはない。当時の俊五郎は比較的安定した生活を送っていたのかも知れない。もっとも、海舟と俊五郎の…