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氷川丸

(一般)
ひかわまる

日本郵船氷川丸は、日本郵船が所有し、横浜・山下公園に係留されている貨客船。
現在は、船内が見学でき、船中は同船や船旅の資料館になっている。
大みそかから元旦にかけて、除夜の鐘ならぬ、除夜の汽笛を横浜の街に響かせる。
2006年12月25日で営業終了。終了後は日本郵船に売却される。
2008年4月25日より「日本郵船氷川丸」となり、再公開された。

概要

1930年にシアトル航路用に建造された貨客船。当時の最新鋭大型ディーゼル機関を搭載し、水密区画配置など先進の安全性を誇っていた。一等公室にはフランス人デザイナーによるアールデコ様式の内装が施され、太平洋戦争前には、秩父宮夫妻、チャーリー・チャップリンをはじめ、約1万人が乗船した。
その後、戦雲ただならぬ中、政府徴用船、および海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷したものの、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れた。
戦後も引き続き病院船のまま復員輸送に従事し、1947年に復元工事で貨客船に戻り、国内航路定期船、後に外航不定期船、1951年8月からはシアトル・ニューヨークおよび欧州航路定期船に就航した。  1953年には内装をアメリカンスタイルに改装し、シアトル航路に復帰、フルブライト留学制度での渡航者約2,500人を含む乗客、約1万6,000人を輸送した。
1960年、船齢30年に達し、同10月シアトル、バンクーバーから神戸に帰港、係留地横浜への回航を最後に第一線を退いた。太平洋横断254回、船客数は2万5千余名。

諸元

建造所
横浜船渠(株)(現 三菱重工業(株)横浜製作所)
全長
163.3m
総トン数
11,622t
主機
B&W複動4サイクルディーゼル機関 2機2軸
スピード
18.38ノット
船客
一等79名、二等70名、三等140名、合計289名

沿革

1930年(昭和5)年4月25日、日本郵船の社船として竣工。「氷川丸」の船名は、氷川神社(埼玉県)に由来。
1941年(昭和16年)日本海軍に徴用され、病院船としての使命を果たした。終戦を迎えた後もしばらく復員輸送に従事した。
1953年(昭和28年)再度改装工事が行われ、シアトル航路に復帰。
1960年(昭和35年)10月で現役生活を引退。
1961年(昭和36年)横浜市の「横浜港開港100周年記念事業」の一環とし横浜港・山下公園に係留
2003年11月、横浜市指定有形文化財に指定。
2008年4月25日、「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン。
2015年11月15日、入場者数がリニューアル・オープン以来、200万人に達した。

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