姫田忠義らが記録した映画『越後奥三面』(民族文化映像研究所)を観た。不思議なことに、山で生きるために食料を生産し、道具を作り、祈る人々の暮らしに想像を膨らませるにつけ、自分がトランスであることを意識させられる。これは意外なことだったが、実は私がこれまで土地の習俗を避けてきた理由はそこにあるかもしれない。 思えば「自由で平等な個人」という理念が私を支えてきたのだった。土地の習俗に従う生き方と対極にある生き方だ。当たり前のように課せられてきた性役割が、「自由で平等な個人」という理念の下では鮮やかに粉砕される。私は自信を持って「性役割なんぞ糞喰らえ!」という心持ちで生きていくことができる。そして自分…