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殉国七士廟

(一般)
じゅんこくななしびょう

殉国七士廟とは、大東亜戦争(太平洋戦争)の後、連合国によって「A級戦犯」とされ、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で死刑判決を受け、絞首刑となった七人を祀る廟である。毎年4月29日に墓前祭がとり行われている。

所在地

愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山

被祀者

東條英機(首相・陸軍大将)
土肥原賢二(陸軍大将)
板垣征四郎(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)
松井石根(陸軍大将)
武藤章(陸軍中将)
広田弘毅(首相)

造営までの経緯

東條英機ら、絞首刑になった七人のA級戦犯の遺体は遺族に返還されず、横浜市西区久保町の久保山火葬場で火葬にされた後、遺骨は飛行機で太平洋に投棄されたが、小磯国昭の弁護人となった三文字正平と久保山火葬場の近隣にある興禅寺住職の市川伊雄が遺骨の奪還を試み、火葬場職員の手引きもあって、七人分の遺灰の欠片を回収することに成功。熱海市の興亜観音に運ばれ隠された。

昭和35年(1960年)8月には愛知県幡豆郡幡豆町の三ヶ根山の山頂に改葬。同地には現在、殉国七士廟が造営され遺骨が祀られている。

昭和天皇と殉国七士廟

昭和54年(1979年)2月26日、昭和天皇と皇后は愛知県豊田市での公務に出席する予定であったが、昭和天皇の内々のはからいで豊田市から遠く離れた豊田市から遠く離れた三ヶ根山のグリーンホテル三ヶ根というところにわざわざ宿泊し、公務当日の朝、両陛下は殉国七士廟の方角へ向かって、不動のままに佇立(ちょうりつ)しておられたという。

関連動画


関連リンク

殉国七士廟(個人による紹介サイト) http://1gen.jp/GDOH/SITISI/SITISI.HTM
ヒロシ 殉国七士廟の紹介 - 世の中これでいいのか - Yahoo!ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/ureeruhiroshi/55427636.html

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