プロ野球選手。通称「ミスターオリオンズ」「安打製造機」。
左投左打、ポジションは一塁手。背番号は3番。
才能・感性に裏打ちされた打撃理論で、いかなる投手のボールであってもストライクゾーンに来れば反応したと言われる。打撃に対する求道的な姿勢で知られたが、周囲の目にはそれが奇行として映る事も多かったと言う。
オールスター出場12回、ベストナイン9回。1960年代のパ・リーグを代表する一塁手である。
1936年12月5日生まれ。東京都出身。
*1:1球も振らずに合格したと言う説もあるが、俗説。テストでの打撃を見た別当薫監督は、この高卒の若者の打撃フォームに直すところをみつけられなかったと言う。
*2:どんな球でも見抜かされていたと言う野村克也の述懐にも現れている。
*3:稲尾和久が史上最高の打者と認めた相手である。
*4:三冠部門でのタイトル獲得はこの二回だけだが、18年間の現役生活で3割を超える事6回、150安打を超える事6回、デビューから15年連続100安打、15本塁打以上10回、最多四死球5回、打撃ベスト10入り10回と安定した成績を残した。
*5:1967年8月13日の南海戦からは2年間にわたり1516守備機会連続無失策
*6:名球会入りを拒否。