1881年(明治14)〜1949年(昭和24)。本名、森田米松。小説家。岐阜県生まれ。東京帝国大学英文科卒。夏目漱石に師事し、安部能成、小宮豊隆、鈴木三重吉とともに漱石門下の四天王に数えられる。『煤煙』で世に出る。のち、翻訳に転じ、ドストエフスキー、ゴーゴリなどを日本に紹介した。
『近代作家追悼文集成[25]寺田寅彦』(ゆまに書房平成四年)に収める鈴木三重吉「寺田さんの作篇」に、ある日夏目先生のところへ伺うと、先生は「今寺田が帰つたところだがね、僕がアインシュタインの原理といふのは大体どういふことかねと聞いたら、それは話したつて先生には分らないな。と言つたよ」と苦笑されたとあった。 あっけらかんとした人間関係であり、安倍能成が、漱石門下での寺田寅彦の扱いは「お客分格」で、夏目先生は若い者たちの美点と長所とを認められたけれども、寺田さんに対する尊敬は別であったと述べているのはこうしたところにも現れているようだ。 鈴木三重吉は寅彦の人間像について、われわれの周囲の、すべての…
『土田杏村全集』第十五巻所収の四十四年という短い「土田杏村年譜」をたどってみると、昭和二年に入って、『日本児童文庫』に関する言及を見出せる。それを順に追ってみる。 (『日本児童文庫』) 二月/アルス『児童文庫』の案を立てる。 三月/この頃『児童文庫』に関する用事多し。 五月/『児童文庫』の少年少女大会岡崎公会堂で開催。講師白秋氏、未明氏、草平氏。 八月/『源平盛衰記物語』(アルス児童文庫の一冊)執筆にかかる。 九月/『盛衰記』七月に書き終る。本文四百二十三枚。巻末文十四枚。 十一月/児童文庫の『源平盛衰記物語』出来。 これを読んで、あらためて杏村も『児童文庫』の著者の一人であり、彼の昭和二年の…
3月19日誕生日の全国35万人の皆さん、おめでとうございます (拙句) しだれ梅しだれ桜と継ぐうれしさ 雅舟 【花】シダレザクラ(バラ科) 【花言葉】 優美 【短歌】朝に匂い昼にたゆたい夕べには優しく佇てりシダレザクラよ 天から降り注ぐような樹齢数百年のシダレザクラを見たことがあります。朝は春の香りを漂わせ、昼間は柔らかな風にゆられ、夜には明かりに優美な姿を現しました。 【季語】 枝垂れ桜(糸桜・滝桜) 【俳句】 まさをなる空よりしだれざくらかな 富安 風生 樹の洞に千年の闇たきざくら 野澤 節子 糸桜雲のごとくにしだれたる 下村 梅子 【三行詩】 しだれ(枝垂れ)うめ(烏梅)・さくら(作楽)…
「デカメロン,」1,ボッカチオ,作,森田草平,訳, 朗読,イサナ https://youtu.be/dYPUpuzi0bc?t=149
チリの赤ワイン「コルディエラ・カベルネ・ソーヴィニヨン・レゼルヴァ・エスペシャル(CORDILLERA CABERNET SAUVIGNON RESERVA ESPECIAL)2020」 (写真はこのあと牛サーロインステーキ) スペインのバルセロナ近郊、ペネデス地方でワインづくりを行っているトーレスが、チリで手がけるワイナリー、ミゲル・トーレス・チリの赤ワイン。 「コルディエラ」とはスペイン語で山脈を意味し、ブドウはチリのサンティアゴから30km南に下ったアンデス山脈のふもと、マイポ・ヴァレーのカベルネ・ソーヴィニヨン100%。 スパイシーでエレガントな味わいのワイン。 ワインの友で観たのは、…
六本木の「MetaMoji」本社でミーティング。 浮川和宣社長、初子専務、開発担当者らとの打ち合わせを2時間。このお二人は、日本語ワープロ「一太郎」を開発したジャストシステムの創業で有名な夫婦だ。以前、「図解マスター」というソフト開発のお手伝いをしたことがある。 その後、料理屋「橘」で絶品の創作和食と日本各地の銘酒を堪能しながら、話が弾んだ。画期的なプロジェクトが始動する。 「一煎」「先付」「向付」「椀盛」「造り」「八寸」「焼物」「温物」「食事「甘味」「薄茶」。 ーーーーーーーーーー 「名言との対話」12月14日。森田草平「自分は永遠に漱石の弟子であり、自分自身は一生、師と呼ばれるような人間に…
1941年12月8日に真珠湾攻撃。その3年8か月後の1945年8月15日にポツダム宣言受諾の詔書がラジオで全国民に向けて昭和天皇の肉声で発表された。 「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」。 8月15日は敗戦の日である。その日の日記に日本人は何を書いたか。永六輔監修『八月十五日の日記』(講談社)はそれを追った本。読了。 三好十郎「ただ泣いた。何も考へられず」。芦田均「私は危うく泣出さむとして声を飲んだ」。海野十三「いっさい決まる。恐懼の至り也。ただ無念」。折口信夫「戦ひに果てしわが子も聴けと思ふかなしき御詔に涕かみたり」。峠三吉「ただ情けなく口惜しき思い…
百間外伝 第10話 「法政騒動」敗者、森田草平の戦時下 近代史研究家 山本一生よくわからない、、、。 stoica.jp
392.『道草』先行作品(7)――『思い出す事など』 漱石は旅行記に向かない作家である、と前の項(本ブログ道草篇16)で述べたが、(12月1月問題という)季節の連想でいえば、これは漱石の文学的出発点が俳句にあることと関係していよう。俳句は説明を嫌う。俳句は(本ブログ道草篇6でも引用した寺田寅彦へのレクチュアによると)扇の要(集注点)を書くものである。百何十度だかに開いた扇の扇たる部分は、読者に想像させる。想像させないまでも、その広がった部分はわざと書かない(詠まない)。 それが漱石(に限らないが)の小説のリズムを生む。吾輩に名前が付かない理由を書かない。坊っちゃんの無鉄砲が父親譲りなのか母親譲…
「名言との対話」。今年は「近代」をテーマとすることにした。近代とは、市民社会が現出した江戸後期の文化文政時代から敗戦までと考えている。 12月の人選。さて、来月はどういう人に出会えるか。愉しみだ。 曲亭馬琴。川崎正蔵・沢村栄治・岩崎久弥。前原一誠・箕作秋坪・式守伊之助。玉錦・中島敦。モネ。島津久光。グラッドストン・大村益次郎・佐野常民・川上貞奴。エンゲルス・スペンサー・山村慕鳥・山本権兵衛。コーネル・夏目漱石。坂本龍馬・ノーベル・大山巌。長岡半太郎。中岡慎太郎。中江兆民・青山胤通・小島烏水。ケロッグ・ボールドウィン・森田草平。カメハメハ3世。グリル・浅井忠・グラバー・近衛文麿。大石和三郎・モホ…
清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください 清水正『ドストエフスキー「悪霊」の世界』(Д文学研究会 1990年7月 限定100部非売品) 連載3 清水正の『悪霊』論 坂下将人 ・清水正『『悪霊』論 ドストエフスキーの作品世界』 (1990) 本書は清水が執筆した『悪霊』論の「第一部」である。清水が執筆した『悪霊』論は三部(『『悪霊』論 ドストエフスキーの作品世界』、『ドストエフスキー『悪霊』の世界』、『『悪霊』の謎―ドストエフスキー文学の深層―』)から構成される。『悪霊』が1915年に森田草平によ…
コスパだのタイパだのと効率を迫られる世の中だから、余計に思いが強まるのだろう。行き当たりばったりの旅にあこがれる。お手本は内田百けん(ひゃっけん)の『特別阿房(あほう)列車』の心である。「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」 內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年〈明治22年〉5月29日 - 1971年〈昭和46年〉4月20日)は、日本の小説家、随筆家。本名榮造󠄁。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。号の「百閒」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路の百間川から取ったもので、当初は「百間」と表記していたが、後に「百閒」に改めた。 生涯 生い立ち 1889年(明治22年)5…
連日30度越えが普通に続き、ここ数日でようよう20度代になってきたかという陽気であるが、とうに中秋節も過ぎている。なんだか真夏からすぐに真冬になりそうな嫌な予感もするが、それはそれとして古書は愛も変わらずに買っている。まずは扶桑書房目録速報から注文したものを。 尾崎紅葉「十千万堂日録」(左久良書房)明治41年10月25日初版函6500円 内藤千代「惜春譜」(牧民社)大正4年6月28日初版函欠6500円 紅葉のはもちろん函目当て。装幀資料としてである。この縦に入れる函は斎藤松洲装幀(思案の序文には松洲と協議したとある)。そして内藤千代子。この本は「内藤千代」名義であるが、2冊ある自伝的小説(?)…
384.『道草』初恋考(3)――漱石の初恋とは何ぞ(二十代後半篇) ここで本ブログ第5項(漱石のウィルヘルムマイスター)から、「漱石の徒弟時代」の後半~「遍歴時代」の前半を再掲したい。《漱石の徒弟時代》(牛込喜久井町)明治23年7月 第1高等中学校本科(文科)卒業明治23年8月 眼病明治23年9月 帝国大学文科大学英文学科入学明治24年7月 眼医者にて(子規への手紙「銀杏返しに丈長」)明治24年7月 富士登山2度目(中村是公等と)明治24年7月 嫂登世死去(25歳)明治24年9月 帝大英文科(2年次)明治25年4月 北海道岩内に送籍明治25年4月 東京専門学校講師明治25年5月 三兄直矩再々婚…