落語家
本名/上田浩久 昭和29年11月18日生まれ・大阪府堺市出身
今宮工業高校卒業後、昭和49年1月に桂米朝に入門
師匠・米朝の落語の「端整で正統派」的な部分を多く引き継ぎ、
米朝一門、さらには上方落語界を担う次世代リーダーとして注目を集めた。
1995(平成7)年に上方お笑い大賞金賞を、2001(平成13)年に大賞を受賞。
落語界以外の人脈も豊富で、若い頃から一緒に勉強会を開催していた講談師の旭堂南左衛門は言うに及ばず、豊竹英大夫・三世桐竹勘十郎と文楽と落語の融合を試みたり、茂山家と狂言と落語の融合を試みたりと、精力的に活動。
作家・中島らも(故人)との親交もしられており、彼の著作『寝ずの番』には多くのエピソードを提供している(講談社文庫版では、あとがきを担当)。
わかぎゑふ主宰の『リリパットアーミー』では、役者として舞台にも上がった。
2004年秋から体調を崩し(1999年に手術した胃癌が再発)、2005年夏に一時復帰したが、2005年11月8日死去。50歳。