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松平慶永

(一般)
まつだいらよしなが

幕末期の政治家(1828.09.02-1890.06.02).越前国福井藩主.
父は田安斉匡.越前守・大蔵大輔.号は春嶽.
福井藩主松平斉善(なりさわ)の没後養子となり,1838(天保9)年遺領相続.
水戸藩主徳川斉昭・薩摩藩主島津斉彬・宇和島藩主伊達宗城らと海外・政治情報を頻繁に交換.将軍継嗣問題では一橋慶喜を推すが,58(安政5)年大老井伊直弼に対する不時登城を理由に,隠居・謹慎を命じられる.
62(文久2)年政界復帰.同年政事総裁職に就任,将軍後見職の一橋慶喜とともに中根雪江・横井小楠らを用いて幕政改革に着手.参勤交代の緩和を断行し,公武合体を主張したが挫折.
維新後は,議定・内国事務総督・民部卿・大蔵卿を歴任.70(明治3)年に公職を退き著述に専念した.

本家の秀忠系が断絶したことにより、傍系から8代将軍に就任した徳川吉宗の男系子孫(特に御三卿の一橋宗尹の子孫)は、皆凡庸か徳川家斉のような気まぐれな諸公ばかりのなか、春嶽だけは、江戸育ちでゆかりのない養子先の越前で藩政改革にある程度成功し、橋本左内・横井小楠・由利公正・鈴木主税・中根雪江・本多修理・村田氏寿と人材発掘登用しており、征夷大将軍の甥・従兄弟という貴種出身とは思えぬ実績を残した、名君との評価もある(他の徳川吉宗の男系子孫が皆凡庸以下の者が大多数なこともあるが<※但し、御三卿の1つ田安家からは松平定信・板倉勝静と老中首座を出しているが実績は?>…)。

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