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松平広忠

(一般)
まつだいらひろただ

松平清康の嫡子。徳川家康の父。妻は水野忠政女・お大の方、後妻は戸田宗光女・真喜姫。
天文四年(1535)守山崩れの後、以前から対立関係にあった大叔父・桜井松平信定の圧迫により岡崎を追放され亡命生活を余儀なくされる。
天文六年(1537)今川義元や吉良持広の支援を得て岡崎に復帰。
天文十二年(1543)叔父の松平信孝を追放するが、信孝との抗争は5年後の信孝の戦死まで続く。
天文十六年(1547)織田信秀に安城城を攻め落とされ窮地に陥り、助力を願うため今川氏に幼少の嫡子竹千代を人質として送るが織田方に寝返った戸田氏によって織田氏のもとに送られてしまう。
しかし翌年、今川義元は太原雪斎を大将とした軍を派遣し、小豆坂の戦いにて織田氏を退けた。
天文十八年(1549)岩松八弥に斬られて横死を遂げた。隣国や一族・重臣に翻弄された生涯であった。

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