永禄2年3月6日(1559年4月13日)〜天正7年9月15日(1579年10月5日) 日本の戦国武将の1人。徳川家康の長男。 岡崎城の城主などを歴任したが、信康の家臣の中から武田勝頼に通謀する者が出るなどしてそのことを知った織田信長は徳川家康に信康の処分を命じ、天正7年(1579年)8月4日に二俣城へと移され、そこで切腹させられた。
すっかり秋めいて・・・というより一紅葉らしい紅葉見ないまま冬になりそうだっ。 大河ドラマもとっくにクライマックスですが、まだ書きかけていた記事がありました。 徳川家康の浜松時代に暗い影を落とした出来事のひとつ、嫡男 松平信康が自刃したことで知られる二俣城と墓所 清龍寺をご紹介します。いずれも浜松市の北部 天竜区にある史跡です。
瀬名ロスが高じて、ひとり大興奮の旅 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第25回「はるかに遠い夢」で非業の自死を遂げた瀬名こと築山殿。前27回ブログの冒頭で明言した通り、瀬名ロスに現在どっぷり中だ。瀬名と言うべきか、有村架純を再登板させる方法まで勝手に妄想を重ねていた。 toyamona.hatenablog.com toyamona.hatenablog.com そんな私にぴったりの岡崎を巡るツアーが開催されると知り、ポンコツの体に鞭打って急遽参加してきた。申し込んだ時には残席僅か、危なかった。(平山優先生と行く激震の岡崎!家康公の人生の岐路めぐり|令和5年度岡崎おでかけツアーズコース紹介|特…
有村架純を再登板させる手は NHK大河ドラマ「どうする家康」の第25回「はるかに遠い夢」は、7/2に放送され、ここまでドラマを引っ張ってきた家康の正室・瀬名が、いわゆる「築山殿事件」にて残念ながら最期を迎えるに至った。 公式サイトからあらすじを引用させていただこう。 武田勝頼(眞栄田郷敦)の手で暴かれた、瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)の計画。それはやがて信長(岡田准一)の知るところとなる。2人の始末をつけなければ織田と戦になる。それでも家康(松本潤)は信長の目を欺き、妻子を逃がそうと決意する。一方、瀬名は五徳(久保史緒里)に、姑は悪女だと訴える手紙を信長に宛てて書かせ、全ての責任を負おう…
大河ドラマ「どうする家康」は、築山殿(瀬名)と松平信康の自害を1話分使ってたっぷりと放送し、一つのクライマックスを迎えました。とくに信康の死は、徳川家康にとっても極めて痛恨事だったのだろうと思われます。 ドラマでは、瀬名と信康が「徳川家を守るために命を絶つ」という自己犠牲をクローズアップして描かれていました。史実はともかく、後世に悪女と言われがちな瀬名を「悪女にはしたくない」という脚本と演出を感じましたね。 信康が切腹した二俣城跡 さて、ここからブログの本題に入ります。 信康と妻で織田信長の娘の五徳との間には、娘が二人いました。娘たちは信康の切腹後、家康の側室の西郡局に育てられます。姉は小笠原…
今回は、信康の終焉の地、二俣城付近の写真紀行です。 浜松市天竜区 二俣城 清龍寺付近 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中【公式】2023年開設ブログ
6/13、北条義時の800年忌 見ているこちらも重苦しくなる内容のNHK大河ドラマ「どうする家康」第22回「設楽原の戦い」が、6/11に放送された。 そちらについて書く前に・・・今週6/13はナント、昨年夢中になって視聴した「鎌倉殿の13人」主人公、北条義時の800年忌だったと聞いた。義時ゆかりの覚園寺、北條寺(他でもやってたかも)では法要があったそうだ。 ツイッターを見たら、覚園寺でのお供えはキノコが多め。そして、参列者に配られたのは「きのこの山」だったようで。なんともシャレの効いた話ですな。出歩く元気があったら行きたかったなー。 #北条義時 公800年遠忌法要をいたしました。大河ドラマ制作…
岡崎組のクーデターだった弥四郎事件 NHK大河ドラマ「どうする家康」第20回「岡崎クーデター」が先週5/28に放送された。いわゆる「大賀弥四郎事件」として知っていた話だったが、今作では「大賀」ではなく「大岡」と。最近の知見によると、そうなるらしい。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 信玄(阿部寛)亡きあとも武田軍の強さは変わらず、勝頼(眞栄田郷敦)は徳川領に攻め込んだ。総大将の信康(細田佳央太)は数正(松重豊)らと応戦するが、苦戦を強いられ、瀬名(有村架純)や亀(當真あみ)も、負傷兵の手当てに走り回る。病で浜松から動けない家康(松本潤)は、忠勝(山田裕貴)らを援軍として送る。そんな慌ただ…
徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮では信康は祭神となっているほか、信康と関係が深かった者により複数の寺院等が建立されている。 西念寺(新宿区)岡崎三郎信康供養塔 - 服部正成が造立。隆岩寺(古河市) - 娘婿小笠原秀政が開基万松院(小田原市) - 大久保忠隣が建立江浄寺(静岡市清水区)供養塔 - 榊原清政が造営高野山金剛峯寺(高野町)岡崎三郎信康墓所 - 平岩親吉が寄進 清龍寺(浄…
永禄2(1559)年3月6日、松平信康は松平元康(後の徳川家康)の長男として駿府で生まれます。 464年前の今日です。 今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしますが、桶狭間の戦いの後に徳川軍に捕らえられた鵜殿氏長・氏次との人質交換により岡崎城に移ります。 岡崎城 父家康の人質時代 父である徳川家康は同じく少年(8歳)から青年になる時期に今川家で11年間を人質生活として送りました。 竹千代君 「どうする家康」で描かれていたように、今川義元からは辛い生活を強いられたのではなく、教育係であった太原雪斎(たいげんせっさい)(今川義元を育成した僧侶でもある)から論語や儒教などを学んだことからも、英才教育…
少し前に「東映時代劇YouTube」で配信されていた映画『反逆児』(1961年、脚本・監督:伊藤大輔)を鑑賞。徳川家康の嫡男として生まれながら若くして悲劇的な死を遂げた松平信康の生涯を描く。主演は中村錦之助。反逆児 [DVD]中村錦之助Amazon本作は大佛次郎の戯曲「築山殿始末」が原作であり、これを伊藤大輔が格調高く演出している。大衆的な東映時代劇とは一線を画し、大げさに言えばギリシャ悲劇のような趣すらある。信康と言えば、徳川家康を父に持ち、かつて信長に討たれた今川家の血を継ぐ築山御前を母に持ち、さらに信長の娘を正室に持つという、数奇な運命に生まれており、戦国時代ならではの理不尽を背負ってい…
先日投稿した「東海道を歩く 32.藤川駅~岡崎公園前駅」では岡崎市街地をめぐりつつ東海道を歩いた。しかし同行していた友人が「今日だけだと岡崎で行きたい場所に行ききれないから、また行く必要があるなぁ」と言った。友人も神戸に住んでいるため、そう簡単に岡崎には行けないだろう。今回は3連休で、4月にも取材に行く予定なので1日岡崎をまわっても大丈夫と判断し、「明日、岡崎まわる?」と聞くと友人は嬉しそうに「うん」と言った。今回は岡崎をまわった日の記録である。 「東海道を歩く 32.藤川駅~岡崎公園前駅」はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.岡崎城 2.カクキュー八丁味噌 …
戦国時代の大和国(現奈良県域)では南北朝の争乱以来、激しく抗争する二つの国人がいました。 一つは添下郡筒井(現大和郡山市)を本拠として、戦国後期に大和の覇権を握る筒井順昭・順慶父子を輩出した筒井氏。 そしてもう一つが、高市郡越智(現高取町)を本拠とした越智氏です。 越智氏は大和南部を中心に勢力を伸ばし、南北朝時代には南朝方主力として活躍した他、応仁の乱では西軍・畠山義就軍の中核兵力として大和、河内、京都を転戦し、一時は筒井氏ら東軍勢力を大和から駆逐して北和にも勢力を広げました。 戦国後期には一族間の争いもあって衰退し、近世初頭に筒井順慶の策謀と家中の混乱により滅亡しましたが、越智氏は筒井氏と並…
前回、御油駅から藤川駅まで歩いた。今回は藤川駅から岡崎公園前駅まで歩こうと思う。岡崎城下町は「東海道岡崎城下二十七曲り」と言われ、27回ものクランクがある。寄り道しつつ見失わないように、歩いていこうと思う。 1.十王堂 2.藤川の松並木 3.西大平陣屋跡 4.大平一里塚 5.丸石醸造 6.隋念寺 7.岡崎信用金庫資料館 8.菅生神社 9.岡崎城 初回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 前回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.十王堂 今日は藤川駅からスタートだ。 藤川駅 少しお腹がすいているのと、藤川宿の御宿場印をもらう…
ここの所、春日局を持ち上げる番組が増えています。 秀忠の嫁のお江(ゴウ)を虐めてなかった云々。 お江の墓は春日局と同じ寺の境内にあるそうで、 秀忠とお江の子・忠長の供養塔もあるとか。 そんなものは何の証拠にもならないと思いますが。 自分たちが謀殺した人物を神社で供養して 恨みをしずめようとする事など多々あるかなと。 家光は秀忠とお江の子ではない可能性が高いです。 家光誕生の前年の同じ七月に江が初を出産https://president.jp/articles/-/76747?page=3 初を産んですぐに家光を妊娠というのは ありえなくはないけれど、少々無理をする事になります。 家光は側室の子…
奈良県生駒市は1914(大正3)年の大阪電気軌道(現近鉄)・生駒駅が開業してから、最初は宝山寺参道沿いに県下最大の花街が発達、大阪近郊の歓楽地となりましたが戦争で花街が下火になると、戦後は大阪のベッドタウンとして発展を遂げた町です。 ※現在の生駒市中心街の発展史について詳しくは下記の記事をご参照ください。 古社寺を始めとした文化財や、奈良まちや今井町といった古くからの町並みが多く残る奈良県内にあって、生駒市は近代に発達した住宅街というイメージが強く、旧跡、史跡のイメージが湧かない方も多いんじゃないでしょうか。 しかし、生駒もやはり奈良県の町。 市中央部・生駒山麓の壱分町に鎮座する往馬坐伊古麻都…
刀ミュ新作公演発表で混乱したので整理! 「三日月宗近という機能」の前提 刀ミュにおける「三日月宗近という機能」について考察するにあたって、まず「つはものどもがゆめのあと」戯曲本より当該場面を引用します。 第4場 髭切「…良い月だよ…欠けているけど…あの月、見えない部分も月なのかな。」 膝丸「兄者。俺には見えているものしかわからない。」 髭切「…見えない部分はいったい何処を照らしているんだろうねえ…それとも、そこは本当の闇なのかな。」 第14場 髭切は少し悲しそうな笑顔で、 髭切「見えない部分も月だったよ…しっかりと光を放ってる…その光はやっぱり見えないけど…。」 第19・20場 M9「華のうて…
いよいよ令和五年も最後の日となりました。今年も「無事是名馬」家族共々、無事に過ごせたことに感謝です。 家族とは昨日に総勢8人が久しぶりに集まり、賑やかに、楽しく過ごしました。本日は夫婦二人と柴犬1匹の大晦日ですが、朝から久しぶりの雨のようです。そして、今年の東京は、本当に暖かい冬です。 この1年も、寺院、神社と変わらず訪問しました。府中市の「大國魂神社」から始まり都内中心に40か所くらい行ったでしょうか。 著名人のお墓のある寺院 その中で印象に残っているのを挙げると、江戸時代に活躍した人物の関係ある寺院が幾つかありました。一つは、世田谷区にある「豪徳寺」です。彦根藩井伊家の菩提寺で、大老「井伊…
「どうする家康」最終回12・3% 全話平均11・2%は大河歴代ワースト2位も“新しい大河”へ数々挑戦(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース 視聴率は苦戦したものの、新しい徳川家康像をはじめとした新解釈の作劇やデジタル技術「バーチャルプロダクション」を本格導入した撮影手法など“新しい大河”への挑戦には一定の評価があった。 私の場合、最近は大河ドラマを見ながら関連する本を読んでいく、というやり方で、ドラマは所詮、ドラマですから、あまりこだわりすぎても仕方がないだろうという感覚で観ています。「どうする家康」は、例えば築山事件が、平和を願った築山殿の挫折、悲劇という、史実に照らすとあり得ない…
引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/ 大河ドラマ『どうする家康 第48話』では、なぜか徳川家光が、白兎を書いて、祖父の家康にささげます。 なぜ、徳川家光は、家康の事が白兎と知っていたのか?詳しく紹介しましょう。
今回は室町時代は信濃守護を務め、江戸時代はいくつかの大名家として存続した小笠原家の記事です。 目次 小笠原氏の系図 各家の継承順 信濃小笠原氏 宗家・忠真流 真方流 忠脩流 長宥流 忠知流 長定流 長秋流 高天神小笠原氏 長高流 清広流 政孝流 義寛流 幡豆小笠原氏 定政流 長貞流 信吉流 長章流 広忠流 直仍流 小笠原氏の系図 PDF版は下記からご覧になれます。上図では見にくいと思いますので、下記リンクから適宜拡大してご覧ください。 小笠原氏系図.pdf - Google ドライブ 各家の継承順 信濃小笠原氏 信濃小笠原氏は長時の代に武田氏に敗れて信濃から追放されたが、子の貞慶が織田家の家臣…
引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/ 大河ドラマ『どうする家康 第47話』では、千姫が「徳川を倒しましょう」と言いましたが、それは本音だったのか?半信半疑の方も多いでえしょう。 そこで、千姫が「徳川を倒しましょう」と言った時の気持ちについて、詳しく紹介します。
引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/ 大河ドラマ『どうする家康 第46話』では、徳川が大筒を砲撃して、大阪城の本丸を直撃しますが、これは徳川家康が予想していなかった可能性があります。 なぜ、そのような事が言えるのか?詳しく紹介するので、参考にしてみて下さい。
11月12日は、枚方菊フェスティバルを見にいってきました。 期間中最後の週末とあって、どこの会場も大賑わいです。 まずは、旧枚方宿船宿鍵屋へ 今年の菊人形のテーマは「どうする家康」 帰蝶(濃姫) 裏道に入ると、古い宿場らしい雰囲気が残ってました。 市役所前の公園に戻って、パノラマ「秋の国」 かわいい子供の人形 「五徳(徳姫)」、「松平信康」、「築山殿(瀬名)」 「織田信長」、「徳川家康」(富士遊覧の場) (前の記事) (DOLLS ー秘めたるものの形ー) (次の記事) (枚方菊花展) 読んでいただいてありがとう! (TOP記事へ)
老欅荘 松永記念館(老欅荘) 「電力王」として知られる松永安左ヱ門(耳庵)が晩年を過ごした居宅のシンボルツリーです。推定樹齢400年ともいわれる欅は「老欅荘(ろうきょそう)」の名の由来となりました。根元にある石は、黒部峡谷の自然石です。 風祭駅 → 万松寺 → 小田原用水 → 板橋地蔵堂 → 松永記念館 → 皆春荘 → 大久寺 11月の下旬とも思えない暖かさ。最高気温はなんと20℃もありました。「駅ハイ」の前に板橋の辺りを歩いてきました。紅葉も少しずつ始まっています。 萬松寺(曹洞宗 清瀧山) 風祭駅から坂を上って約5分。大きな銀杏の木が見えました。ここは、文禄元年(1592) 徳川家康の嫡男…
引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/ 大河ドラマ『どうする家康 第45話』で、豊臣秀頼が二条城に姿を見せると、徳川家康たちは、その賢さに警戒します。 しかし、二条城で姿を見せた豊臣秀頼は、あまりにも愚かだったので詳しく紹介しましょう。