・長元9年(1036) 4.17 敦良親王は践祚した。左大臣,藤原頼通は関白に任じられた。(『左経記』) ※兄弟間で皇位が継承継承されることで、世代交代は遅くなり、外戚は外戚の地位に留まりやすくなった。そうした背景から、天皇が早くに崩御して代替わりがあったとしても、外戚の藤原氏は権力を権力者であり続けたとも考えられる(東島誠 與那覇潤『日本の起源』)。 ・長元9年(1036) 10.14 除目が行われ、源頼義は相模守に任じられた。(『範国記』) ※このころ、頼義は平直方の娘を妻に迎えた(『詞林采葉抄』)と考えられる。彼は直方から継承した相模国鎌倉郡を坂東における自身の拠点とし、在地の平氏系武士…