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杉原千畝

(一般)
すぎはらちうね

外交官。第二次大戦勃発時、リトアニア共和国カウナスの領事代理に在任中、ナチスドイツの迫害を受けていたユダヤ人約6,000名に、受給資格を満たしていないにもかかわらず、独断で渡航ビザを発給した。戦後、外務省の人員整理の対象となり外交官を辞職するが、その人道的行為は彼の逝去(1986)の後に世界から高い評価を受けるようになる。また、やはり当時、ナチスドイツのホロコーストから多数のユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーの功績になぞらえて、「日本のシンドラー」と呼ばれることもある。


なお、彼の行動に対する日本政府の対応については諸説ある。上述のように杉原は戦後の1947年、外務省を辞職することになるが、この件に関して杉原の妻は、ビザ発給の件に対する責任が免官の理由として挙がったと主張している。一方で、外務省の記録によれば、ビザ発給の4年後の昭和19年に叙勲(勲五等瑞宝章)されている。また、「退職までの間、昇給、昇進も順調」だったし、「退職金、年金についても、不利な扱いはいっさい受けていなかった」ともされ、これらを理由に「日本政府は杉原の行動を黙認していた」とする説がある。なお、これに対しては、対ソ連外交における杉原の外交官としての高い実力が買われていた側面を反映したものだ、とする意見もある。

この意見対立は主に、第二次世界大戦(太平洋戦争)を遂行した当時の日本政府に対する戦後評価の問題が背景にある。日本は当時、ユダヤ人の迫害を行っていたナチスドイツと同盟関係にあった。そのため、「杉原のビザ発給に対して日本政府が肯定的であったか否か」というトピックには、戦後60年を経過して今なお続く「太平洋戦争の正当性」に関する論争の一つとして注目を集めやすいという側面があり、注意が必要である。

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