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本多勝一

(読書)
ほんだかついち

ジャーナリスト。朝日新聞記者、同社編集委員を経て『週刊金曜日』編集委員。
信州(長野県)伊那谷出身。
千葉大学薬学部卒。薬剤師の資格を取得後に京都大学農学部に入学、梅棹忠夫らに師事。京都大学山岳部を経て同探検部を設立し、奥ヒマラヤの探検を行う。

朝日新聞社から大量の黒い背表紙の文庫本を出している。
筑紫哲也と朝日新聞入社は同期だった。

【確定事項ではないが補足】京都大学は卒業しておらず、最終学歴は千葉大学卒であるという説もある。詳しい方の情報を希望する。

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1960年末期から90年中頃にかけて、同社を代表する看板記者であった。
また、70年-80年の円熟期のルポルタージュは、一読の価値があろう。
しかし、80年中期から、大江健三郎や中沢新一に対する批判など(精彩を欠いた批判?)が続き、
「週刊金曜日」に移ったあとは、過去の「本多」とは思えない体たらくになってしまった。
『朝日ジャーナル』の最終号の「貧困なる精神」で、読者を株主とした、広告に依存しない、独立系の新聞、仮称「XY新聞」の旗揚げのアジテーションをぶって1株5万円で予約購読者を募るが、数年経って実現せず、「当面は週刊誌を発行して、いづれは新聞を」と釈明して、仮称『週刊ジャーナル』の予約購読者を募ったが、その予約購読申込書の金額の数字は3桁区切りであった(本多は「数字表記における植民地的愚挙について」で日本語での数字表記は4桁区切りにすべきだと主張していた)。この『週刊ジャーナル』がのちに『週刊金曜日』として創刊された。『週刊金曜日』は創刊当初は「ヴァンドルデイ」という読みだったが、いつの間にか「きんようび」に変っていた。金曜日は晩聲社の和多田進と共同で設立したが、のちに本多は和多田を追放する。このへんの経緯は『創』のバックナンバーが詳しい。

その後『月刊あれこれ』を創刊。


いつもサングラスとカツラで変装している。内容証明郵便を送って質問をする人。


多数の著作があるが、一見その当時に書いたと思わせるような表現ながら、実は後からの知見や事実に基づいて文章に手を加え、改変を行った箇所が何例も発見されている。
場所によっては主張が正反対になっていることもあるので、同じ著作でも「どの版に書かれているものなのか」について引用時は注意が必要。


「熊沢京次郎」というペンネームを共著執筆の際、使用したこともある。


【参考例】
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/

http://www3.ocn.ne.jp/~pwaaidgp/honda.html

http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/movement/sinbun_yomitai/peten01.html

代表作

amazon:本多勝一

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