安政7年(1860)3月3日、江戸城桜田門の手前で大老井伊直弼が水戸藩浪士らに討取られる事件が発生しましたが、その後、幕府は、世の不吉さを振り払おうとしたのか、朝廷に願い出て、3月18日に元号が万延と改元されました。 しかし、そのような幕府の願いを他所に、安政の大獄にみられた強権政治の反動でしょうか、段々と幕府の独善政治に陰りが見え始めました。 この頃、桂小五郎は、国元の長州と京都と江戸の間を行き来し、また、江戸藩邸の藩校有備館の御用掛も兼ねて、忙しい日を送っていました。その付き人が、後の伊藤博文で, 当時は、伊藤俊輔と名乗っていました。 伊藤は、元の身分は農民でしたが、父が奉公先で下級武士の…