・44年 韓の廉斯の首長,蘇馬諟は楽浪郡に朝貢を行い、漢より「漢の廉斯の邑君」という称号を授けられた。(『後漢書』韓伝) ・57年(漢暦建武中元2) 春 倭の奴国(もしくは倭奴国)が後漢に朝賀使を送った。倭人の使者は自らを大夫と名乗った。奴国は漢光武帝,劉秀より印綬を賜った。(『後漢書』光武帝紀,東夷伝 倭) 〔要参考〕『後漢紀』「光武帝紀」は正月と記す。 ※日本列島内での水田耕作の発展によって農耕共同体は拡大したことで、集団内外の利害関係が生じ、それらの調停を行ったのが、奴国の王である大首長と首長集団であったと考えられる(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 ※韓の廉斯の朝貢を起点として、倭…