序文・身内下剋上 堀口尚次 斎藤義龍(よしたつ)〈大永7年または享禄2年- 永禄4年〉は、戦国時代の武将、美濃国の戦国大名、道三流斎藤氏の第二代当主〈美濃一色氏初代とする説もある〉、室町幕府相伴衆(しょうばんしゅう)〈役職的な身分の一つ〉である。 大永7年、斎藤利政〈後の道三〉の長男〈庶子〉として生まれる。母は側室の深芳野。幼名は豊太丸、元服後は利尚、高政と名を変えている。 天文23年2月22日から3月10日の間に、道三が隠居したため、美濃守護代斎藤氏の家督を継いで稲葉山城主となったとされる。この隠居は父・道三の自発的なものではなく、家臣の信頼を得られず、領国経営が円滑に進まなかったための交代…