明治三十一年三月父が名古屋の森村組出張所へ転勤となったので、私は下宿生活をする事となった。最初は父の知人であった六角堂前の煎豆屋の二階を、三食付き月五円五十銭で泊っていた。同級生に川端敬雄(春翠)(卒業後山元春挙先生の門下となり草笛会の同人として桜を得意としていたが惜しい事に十年位前故人となった)という私より一つ年下の友人が予備科から一緒で一番仲が良く然も金持ちの三男坊だったので遠くへ写生に行った時等は種々の費用を出しておいて呉れた。そんな仲だったので彼の家へはよく遊びにも行き御馳走にもなり時には泊ってきた事も度々あった。 私の下宿から学校迄は相当遠かったが、当時電車等の乗物が無かったので朝早…