日本民衆の生活・文化・歴史を調査分析する研究センター。神奈川大学の附属研究所として活動している。
日本常民文化研究所の前身であるアチック・ミューゼアム・ソサエティは、1921年に創立された。澁澤栄一の孫の澁澤敬三が、学友達と澁澤邸の一角に開設した。文字どおり屋根裏部屋の小さな博物館であった。
アチックは、創立当初、郷土玩具の収集からスタートし、1930年代に入って早川孝太郎、宮本常一、宮本馨太郎などの参加を得られるようになってから民具・民俗研究が本格化してきた。また、敬三が伊豆療養中に発見した伊豆内浦大川家文書の研究を契機に、祭魚洞文庫・漁業史研究室が新設され、漁村・漁業技術など広く水産史の研究が推し進められるようになった。
さらに、アチックは、多様な専門分野の研究者による総合的な地域調査を行った。十島・奄美調査、南部石神村調査、瀬戸内島嶼調査、志摩和具村調査などが代表的な総合調査である。また、アチックは、研究の基礎になる資料・記録・索引などの編集・刊行にも力を注いだ。『豆州内浦漁民史料』をはじめ多くの古文書資料を活字化するとともに、『男鹿寒風山麓農民手記』など常民の生活記録の刊行にも努め、『日本魚名集覧』などの索引類の編集にも努力が積み重ねられた。なかでも戦後刊行された『日本常民生活絵引』は、敬三ならではのユニークな試みであった。
1942年、アチックは、戦時下という状況もあって、日本常民文化研究所と改称されたが、まもなく休眠状態に入らざるをえなくなった。
戦後、財団法人として復活した研究所が行った最大の事業は、水産庁の委託による全国の水産資料の収集・整備事業だった。宇野脩平を中心にして行われたこの事業の結果、30万枚におよぶ漁業資料の筆写本が作成され、現在でも日本水産史研究の貴重なデータとなっている。また、1968年に『民具マンスリー』刊行開始、74年から民具研究講座を毎年開催するなど、河岡武春を中心として民具研究の情報センターの役割を果たすなど、戦前以来の研究所の伝統を発展させる努力が続けられた。
しかし、民間の独立した研究所を存続させることには多くの困難があり、82年神奈川大学に移管されることになった。それ以降、アチック以来の資料の整備、調査・研究のための努力が重ねられている。また、奥能登時国家の総合調査、伊予二神島の総合調査など未返還文書の返却を契機とした新たな総合調査、さらに新たに取り組んだ西伊豆海村の調査をはじめ、海を中心にした日本の歴史・民俗・文化の研究に貴重な成果をあげて今日に至っている。
調査報告編1より約90分、1985年度から1991年度の部分を調査008 一九八五年・一九八六年の調査と史料の紹介009 一 時国家と渋沢敬三氏 009 一九五一年夏、渋沢敬三氏が時国復一郎家(上時国家)を訪問したことにはじまる。その経緯は、渋沢氏自身の筆で『奥能登時国家文書』第一巻(財団法人日本常民文化研究所、一九五四年)の冒頭に、 009 この提案は、九学会の賛同を得て 009 「こんな方を媒体に持てば能登研究は半ば成功と云えるであろうと胸の中で考えて居た」 010 談話は夜十二時 010 「門外不出」とされて 010 宮本常一の諸氏が班員と 010 調査の重要な一環であった」とされながら…