関西方面で活動中の放送作家。 放送作家集団「ペン企画」代表。 関西ではなぜか、「芸人系」の番組に顔を出すこともしばしば。
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」 1978年-1989年 「新・たかじんが来るぞ」 「痛快!知らぬは男ばかりなり」 「ナイトinナイト」
「上方タレント101人」 「父のくしゃみ」 「タいのタイ」 など
師走。寒くなりました。 10月までは夏が永遠に続くかのように暑かったが、今は夏が懐かしい。 そろそろ年賀状作成や実家に帰省するチケットのことを考える時期である。 ちなみに僕は2019年を最後に年賀状は辞めましたが、妻と母親の分は作ってます。
心斎橋大学という、作家やエッセイストを養成する学校が大阪にある。新聞の広告に小さく掲載されていたりするが、あまり一般的には知られていない。代表者は、新野新であり、その他の講師陣に、「関西のテレビ業界の面々」の名前が連なっている。新野新を知る人は、もう関西では少ないのではないだろうか。かつて、笑福亭鶴瓶と一緒に「ぬかるみの世界」という超人気番組に出演した。本業は、「構成作家」であるが、「強烈なキャラ」の持ち主で、その辺のタレントより100倍面白い。また、やしきたかじんらとも親しかった。他の講師陣の名前を見る、中途半端な面々ばかりである。もと、一流の「シナリオライター」や「映画監督」を講師にしても…
我が家は一部屋4.5畳・3畳・風呂無しを壁をぶち抜いて二部屋分を借りていた。 当然のことに父がリフォーム(?)した。 各部屋は上半分透明・下半分すりガラスの引き戸で仕切られ、私の部屋に置いてあるテレビを隣の居間から家族で観ていた。 だから、自分の部屋があってもプライバシーは無かった。 家族が寝静まった真夜中が私にとって一人になれる時だった。 小学校高学年の頃からラジオの深夜放送にハマったのは必然だった。 ヤンタン(ヤングタウン)、ヤンリク(ヤングリクエスト)、オールナイトニッポン、ぬかるみの世界、サイキック青年団etc. 楽しかった。 各パーソナリティの話す内容がただただ面白くて、 布団の中で…