北国街道(ほっこくかいどう)は江戸幕府が整備した脇街道で、北国脇往還(ほっこくわきおうかん)、善光寺街道(ぜんこうじかいどう)などとも呼ばれていました。追分(軽井沢町の西寄り)で中山道と分かれ、善光寺を経て、直江津で北陸道に合流していました。主な宿場は善光寺宿、牟礼宿、野尻宿、関川宿(妙高市)、関山宿(妙高市)、荒井宿(妙高市)、高田城下です。 飯山街道(いいやまかいどう)は北国街道の新井宿小出雲から分岐した街道で、富倉峠を越え、飯山に通じていました。飯山街道は富倉街道とも呼ばれていました。富倉峠(とみくらとうげ)は標高681mの旧峠。川中島の戦いでは、上杉謙信が越後から兵を率いて信濃に進軍す…