小学館の『新編日本古典文学全集』シリーズの略、その以前の『日本古典文学全集』を旧全集と称える。
岩波書店にも『新日本古典文学大系』と『日本古典文学大系』シリーズがある、別々「新大系」と「旧大系」と称える。 なお、素人にとって大系本より全集本の方が親しみやすい。 例えば研究者の間でどの位までが共通合意点なのかが専門外の人にも見えて来易いという。 特に万葉集の最新の本文と現代語訳は、新全集本が一番良いようである。
寛平御時后宮の歌合歌 源当純 13.谷風にとくる氷のひまごとに打ち出づる波や、はるのはつ花 最初は四句切れの和歌かと思ったが(波なのだろうか、春の初花は。)、それだと「波なるや」とかになるのか(?)。川の波を花に見立てているけれども、氷が溶けてその間に生じる波って、なんともささやかな感じがする。凍った川が溶け出す姿を見たことがないけど、もしかして水かさが増して却って激しくなるのか?ストラヴィンスキーが「3つの日本の抒情詩」という曲の中で、この詩を題材にしているらしい。 谷から吹いてくる風で、融ける氷のあいだあいだから流れ出る川波が、春の最初の花であろうか。 www.youtube.com 題し…
人生の中で「奇蹟」と思えることは、超自然的な現象というものより、得難い人との出会いだろう。誰でも友達を6人たどれば、全世界の人に行きつくという現象(スモールワールド現象、6次の隔たり)こそ、その奇蹟の客観的な表れである。 多くの人は、日常で同じような少数の人と関わる生活を送っている。少人数の知人をたどると世界に行きつくのが不可思議なのは、普段の暮らしのあり様とのギャップがあるからだ。 東浩紀の『観光客の哲学』で教えられたのは、日常的な生活圏を破りランダムに外に飛び出す人がごく少数いるだけで、飛躍的に人間関係が広がり「6次の隔たり」を実現してしまうということだった。数学的な理論モデルでそれは説明…
もう1月も下旬に入り、1年で最も寒い季節になってしまったが、やっと2024年初の更新になる。 昨年10月末にかつてのモーツァルティアンの血が騒ぐきっかけがあって、何十年ぶりかでモーツァルトを聴きながら家に持ち帰った仕事を処理するという、学生時代を思い出さずにはいられない生活をしていたので、今年最初の記事としてそのモーツァルトを取り上げようとしていたのだが、記事がうまくまとまらずに収拾がつかなくなっていた。この土日はそれなりに時間があったので再チャレンジすることにした。 最近になってモーツァルトがなかなか宮廷楽師として就職できなかった二大元凶が父のレオポルト・モーツァルトと、事実上神聖ローマ帝国…
(東京交響楽団「SYMPHONY 2008年4月号」に寄稿した同名のエッセイを2023年の視点から加筆・改稿) シューベルトはヨハン・シュトラウス父子と並ぶ生粋のウィーンっ子、古都の秘蔵っ子として愛されているが、小鍛冶邦隆が『作曲の思想』で「悔悟するペテロ」と評したように、人なつこい外見の裏に未完成交響曲や「冬の旅」の荒涼とした闇が口を開いている。同主長短調のポジとネガのような反転は、優しさと孤独が背中合わせであることの端的な表現に聞こえる。しかも31歳で生涯を終えてから10年以上、重要な作品が埋もれていた。没後の評価を含めてのシューベルトであり、実像と後世の虚像を簡単には切り分けられない。以…
子育て 息子が3歳になり、会話とか自分のことがだいぶできるようになって、育児のフェーズが大きく変わった。会話の中に思いやりやジョークを織り交ぜてきたりして、人間らしくなったなと感じる。その分「イヤ!」という主張に対してきちんと説得の必要性が出てきたし、もう抱っこで無理矢理どうにかできるサイズ感でも無くなってきたので、そういう苦労は出てきた。 春から思いつきでサッカーを習わせ始めたけど、最近はコーチの指示もちゃんと聞けるようになり、パパとサッカー遊びするようになってからはそれなりに上達もしている。サッカーでは子ども同士の交流を通して親たちも情報交換できたりして、自分にとっても良い時間になっている…
タワーレコード x "Sony Classical" 究極のSA-CDハイブリッド・コレクション2023年1月24日 第11回 |完全生産限定 ラファエル・クーベリック生誕110年記念企画 モーツァルト:後期交響曲集(2023年 DSDリマスター)<完全生産限定盤>ラファエル・クーベリック 、 バイエルン放送交響楽団 タワーレコード Amazon 【曲目】ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:後期交響曲集 [DISC1]1-4 交響曲 第35番 ニ長調 K. 385「ハフナー」5-8 交響曲 第36番 ハ長調 K. 425「リンツ」 [DISC2]1-3 交響曲 第38番 ニ長調 K. 5…
薄曇り。 昨日、大江健三郎と村上春樹を対比するようなことをしたが、大江健三郎は「先端の集積」、先端中の先端、非凡中の非凡ともいえる。対して村上春樹は「凡庸の集積」、ジャンク、貧しいものたちを大きなひとつのパースペクティブで語ったようなものだと感じる。だから、一般に大江は「難解」であるし、村上春樹は誰でも読めるだろう。大江の文体は真似ることができないが、村上春樹は現代にひとつの新しいプラットフォームを与えた、つまり文体として多くに真似られたといえるだろう。 村上春樹においては、我々の日常生活における凡庸な「事」がバラバラにされ、文章の中で自由に融通無碍し合っている。典型的な「事々無碍法界」のあら…
ブルックナー:交響曲全集<完全生産限定盤/来日記念盤>クリスティアン・ティーレマン 、 ウィーン・フあまぞんィルハーモニー管弦楽団 タワーレコード Amazon ドイツ音楽の世界的巨匠として人気の高いクリスティアン・ティーレマンとウィーン・フィルによる「ブルックナー:交響曲全集」が完成。2024年の作曲者生誕200年を記念するプロジェクトで、ウィーン・フィルが一人の指揮者で完成させた初のブルックナー全集です。1Amazonち5曲が今回初発売。2019年の第2番を皮切りに2022年の第9番まで4年間をかけて、ウィーンのムジークフェラインとザルツブルク音楽祭で、ヘ短調と第0番を含む全11曲が収録(…
私はクラシック音楽も好きなのだが、では作曲家ではだれが好きですかと言われたらブルックナーとシベリウスを挙げる。この二人の音楽に共通するのは、ブルックナーにはオーストリアの深い森、シベリウスにはフィンランドの冷え冷えとした大地という自然の壮大さが描かれ、そのかわりあまり人間の感情が曲に現れないということではないだろうか。たとえばチャイコフスキーやドヴォルザーク、マーラーあたりが感情をそのまま吐露したような作品とは全く違う。 アントン・ブルックナー(1824 - 1896)はオーストリアの作曲家。生涯を通じて11曲の交響曲と数曲のミサ曲などの宗教曲、少数の室内楽や器楽曲を遺した。その作風はどことな…