プロ野球選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は12→43→33番。
1963年8月12日生まれ。茨城県出身。
下妻第一高校から青山学院大学に進学。東都大学野球リーグ通算14勝を挙げる。
1986年、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。
4月20日の阪神タイガース戦で掛布雅之に死球を与え、選手生命を縮めた選手として知られる。
1987年、ウエスタンリーグの防御率1位。
1988年、10勝6敗でウエスタンリーグの最多勝を獲得。アンダースローの技巧派投手として知られた。
1990年、福岡ダイエーホークスに移籍。1991年、公式戦初勝利。また、3勝3Sを挙げた。
1993年にはウエスタンリーグで13勝を挙げ、2度目の最多勝となる。
1995年、一軍に復帰し、リリーフ投手として登板。
1996年には、投手交代の際に、斎藤貢と間違えられる事があった。
1997年、現役引退。打撃投手となる。
2000年、福岡ダイエーホークスの投手コーチに就任。2003年、一軍投手コーチ・ブルペン担当となる。
2005年、福岡ソフトバンクホークスの投手コーチ・ブルペン担当となる。
2007年、育成担当コーチに転任。