(昭和二十三年七月十五日法律百七十号) 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の施行により、廃止された。
(この法律の目的) 第一条 この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。 第二条 教育委負会の組織、権限及び職務は、この法律の定めるところによる。 以下、略
(この法律の目的)
明治維新以降の日本の教育制度・運営に「教育会」という存在があり、戦後あまり研究されて来なかったようだが、梶山雅史教授の主導で過去20年近く活発な議論が、研究会が、そして著書が発表されたことを知った。スペースで語ってきた。 図書館に一度返すこととした2冊。いつかまた手に取りたい。 この教育会は、京都市のように消失したものもあれば信濃教育会のように継続しているものある。ふと、戦後の教育委員会やPTA、日教組に引き継がれているのではないかとウェブサーチしたらこの3組織はGHQのご指導の下にできたことをウィキで知った。 1946年(昭和21年)の春、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要請…
*サンズイのそうは、出てこないので、蒼海(そうかい)と書く。 第5巻は、第13章「あけぼの丸」と第14章「まぼろしの蜜月」からなる。 「あけぼの丸」については、この本を読むきっかけになったNHK・ETV特集で初めて知った。 この特集で、華々しい空母決戦の前に、戦死者が出ていることを知り、びっくりした。 そして、「あけぼの丸」の戦闘への日米の認識の差に、ミッドウエー海戦の敗因が潜むという、澤地の指摘に納得した。 米側が未明「あけぼの丸」等への攻撃に成功し、戦いが始まったと認識している時、連合艦隊首脳も一航艦首脳も、「あけぼの丸」被爆について無関心だった。その認識の差が、「勝敗を分ける最初のターニ…