篠原 泰之進(しのはら たいのしん) 流派は、柔術/良移心倒流,剣術/要心流,槍術/宝蔵院流の達人。 穏やか、さっぱりした性格、明るく無邪気だったようだ。 元治元年(1864年)10月、新選組加盟を前提に上京。しばらく遅れて入隊。 慶応3年(1867年)3月、御陵衛士結成に伴って新選組を離脱。この頃、秦河内と称する。油小路事件後は薩摩藩邸に匿われ、12月18日、明治元年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは薩摩軍の一員として戦う。 戊辰戦争では赤報隊に加わって投獄された後、釈放され、軍曹を拝命して会津戦争や北越戦争で戦功を上げた。 維新後は秦林親と改名。戦功により永世士族の身分、恩賞金250両、…