・紀元前1600年頃 〔参考〕『史記』「殷本紀」によれば、子履(天乙)は夏王朝を滅ぼして王になり(湯王)、王朝「殷」を立てたという。 ※殷という王朝名は、後世に付けられたものである。中原最古の王朝であったため、別の王朝と区別するために、王朝名を付ける必要もなかったと思われる(落合淳思『殷』)。 ※甲骨文字において、湯王,履は「大乙」や「唐」と呼ばれている。実名は「唐」であったと考えられる。唐が都を置いた場所は甲骨文字にも見られ、二里岡遺跡の場所にあったと思われる(落合淳思『殷』)。 ※湯王,唐は祭祀対象として見られるのみであり、具体的な事績は不明である。履が滅ぼしたという夏最後の王,履癸(桀)…