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徳田球一

(一般)
とくだきゅういち

徳 田 球 一(1894年9月12日〜1953年10月14日)

 日本共産党の実質上の創立者である。
 沖縄県国頭郡名護村にて、父佐平・母カマドの間に生れる。1917年 ロシア革命勝利。
 1919年3月 共産主義インタナショナル(第三インタナショナル――コミンテルン)が創立。
 1922年1月 極東民族大会(極東の共産主義的・革命的組織の第一回大会)に、日本の革命組織を代表して出席(海外組織を代表して片山潜) 、その決議を日本にもたらす。
 7月15日 日本共産党創立に参加、コミンテルン決議を報告。
 1923年6月 第一次共産党弾圧で逮捕・投獄さる。
 1928年2月 「三・一五事件」に先立って逮捕さる。
 1945年10月10日 日本軍国主義と獄中十八年の英雄的闘争を闘い抜き、反ファシズム解放軍としての連合軍によって解放され、ただちに戦後における党の再組織、占領軍との闘いに革命的英雄主義を発揮し日本革命運動を指導した。
1953年10月14日 日本共産党の創立者・徳田球一は病気療養中の北京で、その偉大で輝かしい生涯を閉じる。中国革命の偉大な指導者毛沢東は徳田球一の死を悼み、プロレタリア国際主義の立場に立って『徳田球一同志永垂不朽』の揮毫(きごう)をおくった。享年59

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