則任の妻は、「土師ノ中納言敏素」息女という。これは、仙台叢書の野史にある。 中納言は閣僚であり、この時代に陸奥に来た閣僚の子孫は、菅原道真氏関係の子孫しかいないのではないか。これは著者の意見だが、900年代に菅原道真氏の妻が、現奥州市前沢生母(墓は田河津)、子が現奥州市姉体町に配流されている。姉体町に菅原神社2社、田河津に菅公夫人の墓がある。その約100年後に子孫が白鳥舘の則任と結婚するという想定だが、郷土史になく確証はない。 しかし、藤原道真氏は、中納言を経て大納言、右大臣まで勤めている。当時の歴代の閣僚でほかに陸奥に関係する閣僚はいないと考えられたが・・・。 土師氏は、古墳や土師器などを生…