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後藤象二郎

(一般)
ごとうしょうじろう

天保9年3月19日高知城下にて上士・馬廻格の後藤助右衛門の長男として生まれる。
 土佐藩の公武合体派の急先鋒として、武市瑞山を党首とする土佐勤王党を実質解散に追い込み、武市らを切腹させたが、意見を変え、長崎で坂本龍馬との会談を行い、前藩主山内容堂に対し将軍徳川慶喜に大政奉還させるよう進言する。この進言後、脱藩罪に問われていた龍馬が特赦されたのも後藤の働きによると言われている。
 明治に入り、参与、大阪府知事などに就任するが、明治6年(1873年)に板垣・ 西郷らと共に征韓論論争に敗れ、公職を離れ、翌年板垣退助、江藤新平副島種臣らと愛国公党を組織し、 民選議院設立を申し立る。明治14年(1881年)に板垣退助とともに自由党を設立した。

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