・正元1年(1260) 11.26 後深草天皇の譲位により、恒仁親王は践祚した(亀山天皇)。(『百錬抄』) ・文応1年(1260) ?.? 足利(源)頼氏は、上杉(藤原)重房の娘との間に家時を儲けた。(『尊卑分脈』) ※頼氏が北条得宗家から妻をむかえられなかったのは、父,泰氏が得宗家から遠ざけられたことが理由とも考えられる(村井章介『北条時宗と蒙古襲来』)。 ・弘長1年(1261) 1.22 北条(平)時宗は左馬権頭・従五位下に叙任された。 ※得宗で左馬権頭に任じられたのは、時宗が初である。かつて左馬頭には源義朝や足利(源)義氏が任じられており、武家の棟梁を再編成しようとしたとも考えられる(福…