・1352年(和暦観応3) 8.17 弥仁王は践祚した(後光厳天皇)。(『後光厳院践祚記』) ※後光厳天皇の践祚に際して、北朝における先帝,崇光院は「旧主」「新院」と呼ばれた。北朝側としては、崇光院は後村上天皇によって退位させられ尊号を贈られたという認識を覆そうとはしなかった。結果として、崇光院は北朝側からも「廃位」させられたような形となった(遠藤珠紀 水野智之「八代の「北朝天皇」、知られざる事績」『北朝天皇研究の最前線』)。 ・1354年(和暦文和3) 8.8 光明院は南朝から解放され、帰京した。(『園太暦』) ※光厳院、崇光院、直仁親王よりも先に解放されたのは、その繊細な人柄から同情された…