・延慶1年(1308) 8.26 富仁親王は践祚した。(『園太暦』) 九条(藤原)師教は摂政に任じられた。(『践祚部類抄』) ・徳治3年(1308) 閏8.3 後宇多院は譲状を書き、讃岐国・越前国・因幡国にある所領および安楽寿院、歓喜光院領などの所領を皇子,尊治親王に譲るとした。(「後宇多法皇譲状案」「京都御所東山御文庫文書」『鎌倉遺文 30』2336) ※尊治親王に与えた所領は、後々は故後二条天皇の皇子,邦良親王に譲り、子孫も親王として天皇を補佐するよう述べてあった。そのことから、尊治親王が大覚寺統の中心となったのは便宜的な処置であり、後宇多院としては、大覚寺統を将来的に嫡孫の邦良親王の系統…