道鏡に同じ。→道鏡
奈良時代の僧侶(怪僧?)。 病気治癒の功績によって称徳天皇の信任を得て位人臣を極め、ついでに皇位簒奪を企てたが和気清麻呂に阻止された*1。 称徳帝の没後、下野国に流され、そこで没した。
経緯、身元*2、話の展開などに不自然な部分が多く、政治的に道鏡に対立していた藤原氏による作為があると見ることも可能である。
*1:ということになっている
*2:一部に皇胤とする説も。であれば皇位を狙ったとしても不自然ではないが、そもそも皇位を狙っていたかどうか自体が謎である
ランキング参加中歴史 導入 結局、両統迭立ってなんやねん 両統迭立は何回あったのか 両統迭立は実際何回あったのか(検証) 仁徳天皇の子孫 継体天皇の子孫 欽明天皇の子孫 敏達天皇の子孫 舒明天皇の子孫 桓武天皇の子孫 仁明天皇の子孫 村上天皇の子孫 鳥羽天皇の子孫 後白河天皇の子孫 後鳥羽天皇の子孫 後嵯峨天皇の子孫 光厳天皇の子孫 後水尾天皇の子孫 東山天皇の子孫 光格天皇の子孫 終わりに 参考文献 書籍 webページ等 導入 タイトルの「両統迭立」がまず読めるかって話ですよね そしてその意味はなんやねんって話ですよね 以下、広辞苑第6版より引用 両統迭立(りょうとうてつりつ) 鎌倉後期、大…
全宗【電子書籍】[ 火坂雅志 ]価格: 880 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 忍びの里、甲賀で生まれた全宗は、子供の時にうまが合わない継父を殺して出奔する。そこで深泥無仁斎に拾われ修行を続け、やがて忍びの奥伝、人の命を奪う「陰薬」を伝えられる。しかし全宗は世に出たい欲望を捨てきれず、忍びを抜けて有名な医師の元で学ぶ決意をする。しかし甲賀は「抜け忍」を許さず、全宗はやむなく比叡山に逃げ込んだ。 比叡山に入って1年経ち、薬樹院という坊舎があるのを知る。全宗は貪欲な知識欲で薬の知識を学び、薬樹院の住職となった。医を糧に権力に近づきたい全宗は、比叡山の焼き討ちを逃げ延びた後、木下秀吉の知遇を得よう…
今まで岡山県の各市町村ごとにおすすめスポットをご紹介していきました。 魅力たっぷりのスポットが数多くあり、観光や旅行の思い出になる場所ばかりです。 今回は【岡山の観光スポットまとめ!一度は訪れたいおすすめスポット】について見て行きましょう! 皆様の素敵な旅の参考になれば幸いです。 一度は訪れたい王道スポット! 高梁市のシンボルになっている建物!【備中松山城】 アクセス方法 日本三名園にも選ばれているスポット!【後楽園】 アクセス方法 お城好きにはたまらないスポット!【鬼ノ城】 アクセス方法 岡山市のシンボルにもなっている!【岡山城】 アクセス方法 子供の頃を思い出す方も多い!【旧吹屋小学校】 …
皆さんは和気町(わけちょう)に行かれたことありますか? 豊かな自然と奈良時代の偉人が産まれた場所として知られ、自然と花々が織りなす美しい景色が魅力の町なんですよ。 今回は【自然の中でのんびり過ごせる町!和気町を観光しよう】についてご紹介していきます。 魅力あふれるスポットが数多くありますので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。 和気町の魅力について! 和気清麻呂ゆかりの地!【和気神社】 アクセス方法 ぜひ春に訪れてほしい!【和気町藤公園】 アクセス方法 町を一望できるスポットとして有名!【由加神社】 アクセス方法 可愛い動物に癒されて!【ハッピーホースファーム】 アクセス方法 どこか神秘さ…
2月28日にお江戸に行く用事ができました。 3月1日は母の通院サポートなので、その間のうるう日・2月29日にも休みをとってお江戸で一泊しちゃおう♪ どこに行くのかというと、ズバリ江戸城(皇居)。 現存12三重櫓のひとつが江戸城にあります。 こんな機会がないと東京に旅行に行くことなんてまずないので、行けるときに行って12の三重櫓コンプリートを目指そう☆前日ギリギリまで日勤でお仕事して、28日はいつもの出勤時間同様に早起きして、新幹線で東京へ。 前に東京に行ったのはもう4年も前のこと。 東京に到着して、総武線で2つ目の駅・馬喰町で所用を済ませて夕暮れ時。 そう遠くない秋葉原駅前でドミトリー形式のお…
ずっとウズウズしていたものを吐き出す。まとまっていない。九州倭国王朝目線での狂人の妄想の類い。 奈良の時代は奈良時代から始まる 8世紀、納豆食べて平城京。710年から始まる奈良時代。日本国=大和朝廷はここからスタートするが、大和朝廷は『隋書』に登場する秦王国が基だと私は考えている。 「奈良時代」という時代区分が設けてある理由は、「奈良が中心になる時代は奈良時代から」と歴史学者は考えているからだ。もし古墳時代から奈良が中心と考えているなら、わざわざ「奈良時代」なんて区分作りますか? 「ヤマト王権」「ヤマト政権」は昔の教科書では「ヤマト朝廷」と呼んでいた。しかし「朝廷」には中央集権の意味があるため…
今週のお題「元気を出す方法」 2024年1月26日金曜日。第27回日本病態栄養学会年次学術集会に参加するために私は京都にいます。烏丸大池の「松之助」でアップルパイを頂いた後に神社に向かいました。 ▼松之助 護王神社 ごおうじんじゃ 護王神社に来ました。 実は1年前の2023年の日本病態栄養学会に参加した時に偶然見つけた神社です↓ ↑この時はまったく知らなかったのですが、実は今、私にとってはとても大切な神様、なのです。 護王神社(ごおうじんじゃ)桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉広虫(ひろむし)を祭神とする神社。もとは、神護寺境内にあったが明治…
丹沢の県道は駐車スペース満車状態。熊さん情報が入った後なので、人が多い方が安心かと思ったのですがねぇ・・・じゃあマイナーな所!と思い頭高山へ行ってみたらこちらも満車。ハイクエリアは人がイッパイです。街中もイベントで人がイッパイ。 行ったことのない場所へ行くのが吉って云われてたのを思い出し、辿り着いた飯泉山勝福寺。坂東33観音の第5番。開基が弓削道鏡・・・って有名人じゃあないですかっ!そうだったのですね。曾我兄弟、雷電、二宮尊徳と著名な人と関わるお話しがあるようです。 近くの河原は何度も来ているのですが、お寺に来たのは初めてでした。まずは河原を見に行きました。 カモメを見たのは久しぶりです エバ…
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) トップページ - 葛原八幡神社 社号は「葛原八幡神社」と、八幡さまを名乗っていますが、ホームページのURLが https://www.kiyomaro.or.jp/ということからもわかるとおり、勤皇の大忠臣 和気清麻呂公がメインの神社です。 和気清麻呂公銅像 足立山山頂を仰ぎ見、八幡神のお使いである霊猪像を配した当神社祭神和気清麻呂公の銅像をこの度、参道奥、御社殿東側に建立いたしました。和気清麻呂公は奈良時代から平安時代の転換期に活躍した人物で女帝・称徳天皇の深い寵愛を受けた僧・道鏡が皇位を望んだ時、宇佐八幡に…
ゼェゼェ。。。はぁはぁ。。。 オレは、オレは、、、休みの日になぜこんな苦行を行なっているのだろうか・・・。 久しぶりの登山は北九州の足立山!! 今回の登山は北九州市の足立山 久しぶりの登山はやっぱりしんどい。。。 光を捉える楽しさを再発見 山頂到着 久しぶりの登山はやっぱり良かった!! 久しぶりの登山は北九州の足立山!! 「今日こそは絶対に山に登るんだ!!」 そう強い決意を持って臨んだ10月某日。 平日にも関わらず、この日は休日出勤の振替のため休み。家族はみんなそれぞれ仕事や学校に向かった。これはもう、行くしかないでしょ!!登るしかないでしょ!!一人テンション高く、目的地へと向かった。 今回の…
福良の氏神と言って良いのは、福良港の北側に鎮座する福良八幡神社である。 少し小高い丘の上に神社はある。 福良八幡神社の社叢 福良八幡神社の鳥居 福良八幡神社は、貞観元年(859年)に奈良大安寺の行教上人が、清和天皇の勅願により、宇佐八幡宮の祭神を石清水八幡宮に勧請するに際し、福良に立ち寄り、ここにも分霊を奉じたのが始まりと伝えられている。 もしこれが本当なら、石清水八幡宮よりも先に宇佐八幡宮の分霊を祀った由緒あるお社ということになる。 南の一の鳥居を潜り、石段を登ると随神門がある。 参道の石段 随神門 貞応二年(1223年)には、弦島城主福良義邦が社殿を造営し、同時に神宮寺(神社を管理する寺院…
北九州市小倉北区の 「森林浴の森日本100選」 にも選ばれた 「足立公園」でウォーキング!! 和気清麻呂の伝説 清麻呂伝説 妙見神社(妙見宮) お昼ご飯 GROCERAグロッサリア小倉足立店 1週間チャレンジ3日目 北九州市小倉北区の 「森林浴の森日本100選」 にも選ばれた 「足立公園」でウォーキング!! 所在地:小倉北区小文字一丁目・黒原一丁目・妙見町ほか 遊具の下にはやわらかい地面 足立山の山すそに広がる本公園は、小倉北区の市街地に隣接しており、手軽に森林浴、散策、市街地の展望等が楽しめます。また、赤松林は、その数、規模とも市内最大であり、梅林、桜林とともに市民の憩いの場として親しまれて…
宇佐八幡宮信託事件をご存知でしょうか? 奈良時代に宇佐八幡宮の神託によって仏教僧、道教が天皇に即位しようとした事件です。 高校時代日本史で突然出現する「宇佐八幡宮」に困惑した記憶があります。 今よりも神の声や宗教的な儀礼を大切にする文化があったの奈良時代に、氏神を祀る神社が政治的な発言権を持つことは、なんらおかしいことではないように思います。 しかし、天皇の血統が途切れるか否かの大事件に対して、天皇の氏神天照大神を祀る伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮の信託な重要視されている点は、不思議な感覚を覚えます。 どうして、宇佐八幡宮の信託が皇室にこれほどの影響力を持ったのでしょうか。 考えていきたいと思いま…
今回は、小田原のダイナシティの帰り飯泉の勝福寺に寄りました。 ここは弓削道鏡開基、当然、奈良時代に道教が東国に来た際に開かれた 寺院だそうです。道鏡といえば日本三大悪人?日本三悪人?と言われる 日本を簒奪しようとした一人と言われていますが、下手したらいまの、 天皇家が無く道鏡の子孫が今の天皇家の立ち位置だったかもしれません。 (藤原氏にはめられた気もしますが?)でも、あとの二人平将門は、 天皇家の子孫だし、唯一簒奪した足利尊氏も源氏の出で子孫である上に 実際には、違う天皇家を立てたのは賢かったと思うのですが、道教に至っ ては全く天皇家に血縁が無いと言う所がかなり異質に思われます。 因みに、勝福…
来年の大河のヒロインは紫式部(^_^) 世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」の作者ですが・・・ 「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」 源氏物語の中で竹取物語はそう称賛されています。 『日本紀』などは、ただかたそばぞかし。 これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ。 『正史』に書いてある事は、歴史のただの断片。 物語にこそ、道理にかなった詳しい歴史がある! 第二十五帖 螢(ほたる)で光源氏はそう語っています。 roudokus.com 「竹取物語」にくらもちの皇子 (みこ)という極悪人が登場しますが、モデルは藤原不比等! と、いう説があります ( ◠‿◠ ) かぐや姫に求婚する5人の…