昔の権力者は、地位が安定してくるとやたらに、 お寺とか、お墓とかを建てる習慣があったらしい。 人力では及びのつかない、神仏の加護を借りて、 権力の座にいつまでも とどまることを願うという心理にもとづくものである。 鳥羽院もかねがね三十三間の御堂《みどう》を建てたがっていた。 これが忠盛の尽力で完成したときは、 大へんな喜びようだったといわれる。 そのとき備前守《びぜんのかみ》だった忠盛は、 但馬国《たじまのくに》の国司に任ぜられ、 その上、あんなに待ち望んでいた昇殿を始めて許された。 時に忠盛は、三十六歳の男盛り、 その感激は又ひとしおであった。 ところが、ここに意外なところから、反対運動がも…