90年代のプロ野球選手。「川辺忠義」は簡易表記。 右投右打、ポジションは投手。背番号は20→59→46番。
1968年4月30日生まれ。秋田県出身。 秋田工業高校で1986年夏の甲子園に出場。
卒業後、川崎製鉄千葉に進み、社会人野球で活躍。 1988年、ソウルオリンピックに出場。
プロ入りを拒否していたが、1990年、ドラフト2位で読売ジャイアンツに指名され、入団。
1996年、FA移籍した河野博文の人的補償により、日本ハム・ファイターズに移籍。初勝利を挙げる。
1997年、現役引退。