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島秀雄

(一般)
しまひでお

(1901-1998) 鉄道技術者。宇宙開発研究者。

1901年に大阪で生まれた島は、東京大学で卒業後、鉄道省(のちの運輸省)に入社。
若き日の島は、機関車「D51」開発に尽力した。その島は、昭和10年代、機関車より最高速な鉄道「新幹線」開発を夢を見た。その開発に乗り出すが、戦争の悪化で開発を断念する。
また、戦後間もないころ、国鉄の相次ぐ事件(下山事件)などが起きたころを受け退社。住友金属に移籍する。
ところが、国鉄での問題で総裁の辞任に追われたことから、十河信二を国鉄総裁に就任。これを受けて、島も入社した。
昭和30年代初期(1950年後半)に新幹線事業に取り組み、開発に携わった。そして、1964年の東京オリンピックを前に開通にこぎつけるが、その前年、国鉄と十河が折り合いがつかず、十河は国鉄を退社。島もその後を追って、やめた。
1964年に日本で初めての高速鉄道・新幹線を開業した。最初の区間は東京〜新大阪間の東海道新幹線であった。4時間で行けた。島と十河は、その開通の記念セレモニーに招待されず、テレビのニュースで見た。
その後、島は宇宙開発事業団を創設し、初代理事長として宇宙開発に力を注ぎ、1998年に亡くなるまで島秀雄は技術者としてその役目を全うした。

島が亡くなったあと、高橋団吉が島の半生を描いた伝記を執筆。それを基に2004年にテレビドラマ化された。
2007年10月現在、新幹線は、日本では最速で行ける距離になり、大きく躍進。また、海外でも日本の新幹線事業に研究材料にもなった。衰退されると言われた鉄道業界に新幹線事業によって大きく息を吹き返した島秀雄の功績は実に大きいものである。

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