市川氏も中郡(なかごおり)に所領を有する武士だが、中郡衆には含まれない。 白木町市川にある星ヶ城の主とされる市川経好は、山県郡新庄の小倉山城主吉川国経の孫である。 経好の従兄弟にあたる吉川興経は、天文18年(1549)吉川の家督を毛利元就の二男元春に譲った後、幽閉された深川ふかわで殺害される。その後経好は市川村に蟄居し、その地名によって市川を名乗っている(『萩藩閥閲録』市川三右衞門家書上ほか)。 白木町市川にある城について、『芸藩通志』ではー 小田城 小越・市川二村の間にあり、 星ヶ城 市川村にあり、吉井山、又元井山といふ、井上元兼 一に信経 所居 又市川式部ともいふ、 天文19年(1550)…