アイヌ語地名学者。1899年〜1992年。東京生まれ。
金田一京助、知里真志保らアイヌ語研究者との親交もある。比類無き厳密な実証的地名語研究を行った。
司馬遼太郎の『オホーツク街道』(「街道をゆく」38)に紹介されている。
山田秀三氏は、若いころ、瀟洒な紳士だったらしい。
著作の最後のページの略歴をみると、明治三十二年(一八九九)東京生まれとあるから、すでに九十二歳であられる。(一九九二年七月二十八日、逝去された。)
「お年を召していらっしゃいますけど、男性としてあんなすてきな方は、めったにいらっしゃいません」
と、北大の村崎恭子教授が力をこめていわれたほどだから、よほど魅力的なひとにちがいない。
好奇心と才能にめぐまれたこのひとは、一つの人生に、何人かの山田秀三が居るかと思えるような人生を持たれた。高級官僚になったかとおもうと、退官後、北海道に曹達(ソーダ)会社をつくってその社長や会長になったりした。
その間、アイヌ語を研究され、北海道その他におけるアイヌ語地名の一つずつをたんねんに考察した。四巻からなる『アイヌ語地名研究』(草風館)は、名著である。