元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー(ボランチ)。
1969年1月29日生まれ。群馬県出身。身長177cm、体重72kg。
優れた状況判断と鋭い読みでピンチの芽を摘み取るボランチ。巧みなパスで攻撃を組み立て、機を見たミドルシュートでゴールも狙う。リーダーシップもあり、サッカー日本代表と所属した4つのJリーグクラブ全てでキャプテンを任された。
1991年、全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)に入団。加茂周監督の下、ゾーンプレスの申し子と呼ばれた。横浜フリューゲルス創設から消滅までを全うし、「ミスターフリエ」と呼ばれた。
1995年、加茂監督によりサッカー日本代表デビューを果たす。FIFAワールドカップ・フランス大会アジア最終予選のホームでの韓国戦では、芸術的なループシュートを決めたが、直後まさかの逆転負けを喫した。その後も日本代表は苦戦が続き、日本サッカー協会は加茂監督を更迭して岡田武史を監督に起用した。山口は岡田監督からの信頼も厚く、ダイヤモンド型の中盤のワンボランチを任され、日本代表のFIFAワールドカップ初出場に貢献した。1998年のFIFAワールドカップ本大会では、グループリーグ3試合に先発出場したが、3戦全敗に終わった。代表通算国際Aマッチ58試合出場、4得点。
2007年限りで現役引退。引退後はサッカー解説者としても活躍。2010年、JFA公認S級コーチライセンスを取得。2012年3月、岸野靖之の後任として横浜FCの監督に就任した。
横浜フリューゲルス消滅の軌跡―キャプテン山口素弘が語るチーム消滅と天皇杯優勝までのドラマ
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