かつて、長野電鉄が運行していた鉄道路線。屋代‐須坂間 24.4km。
各駅停車や特急が10〜15分間隔で運行される長野線に対し、こちらは概ね90分間隔で各駅停車のみが運転される鄙びたローカル線だった。
1923年(大正12年)に河東線(屋代‐須坂‐信州中野‐木島)として開業。当初は東京方面と新潟方面とを千曲川流域を経て結ぶルートの一部として計画されていたが、信越本線の開業でその意義を失った。太平洋戦争の際に不要不急線として休止されるはずであったが、松代大本営建設に利用するため存続されることとなる。
1982年(昭和57年)までは国鉄信越本線の急行列車「丸池」「志賀」などが、山の内線(現・長野線)の湯田中まで乗り入れていた*1。定期運行の優等列車はなくなったが、多客時にしなの鉄道とのリレー列車「軽井沢・小布施リレー号」(屋代駅のりかえ)が運行された。
2012年(平成24年)4月1日に廃止された。
長野電鉄の甲種回送は全車この路線を使用して須坂に回送されていた。また、列車廃車の際には信濃川田駅の廃車線に入線した。
列車は全車ワンマン運転、3500系(O編成)が用いられた。