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小川博

(読書)
おがわひろし

中国研究者。(1929年6月19日ー2008年10月6日)
東京市(現豊島区)巣鴨生まれ。1955年早稲田大学第一文学部東洋氏学科卒、57年同大学院文学研究科修士課程修了。1969年早稲田高等学院教諭。

著書

  • 『文化人類学』芦書房 1983
  • 『海の民俗誌』名著出版 1984

共編

  • 『日本訳中国書目録 日中友好の一つの礎石として』実藤恵秀共編 日本学生放送協会 1956
  • 『十五年戦争重要文献シリーズ 第15集 中国人日本留学史稿』編・不二出版 1993

ー西村朝日太郎『海洋民族学論攷』編 岩田書院 2003

翻訳

ー馬歓『瀛涯勝覧 鄭和西征見聞録』訳注 吉川弘文館 1969
ーー『中国人の南方見聞録 瀛涯勝覧』吉川弘文館 1998
ーラルフ・リントン『人類学的世界史』至誠堂 1976 『人類学的世界史 文化の木』講談社学術文庫 1995

小川博

(スポーツ)
おがわひろし

プロ野球、ロッテオリオンズの選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は26番。

1962年4月2日生まれ。栃木県出身。
前橋工業高校で3度甲子園に出場。
卒業後、青山学院大学に進み、1985年、ドラフト2位でロッテオリオンズに入団。
サイドスローから繰り出す速球や変化球が魅力的であった。

1988年、オールスターゲームに出場し、10.19ダブルヘッダーの第1試合に先発など活躍。
また、両リーグ最多の204奪三振を記録し、最多奪三振のタイトル創設のきっかけを作った。
シーズン最多奪三振投手で投球回数を上回る奪三振を記録した、最初の右投手である。

1992年、現役引退。

1993年、千葉ロッテマリーンズのトレーニングコーチに就任。
2000年、編成担当の球団職員を務めた。

2002年、退団。
球界を離れ、産廃処理会社に就職。

2004年11月に勤務していた産廃処理会社の会長宅に住み込みで働いていた女性に、借金を申し込んだものの断られたことから、女性を殺害しさらに現金を奪う。
同年12月21日、強盗殺人事件の容疑で逮捕。

会社では営業部長の肩書きで勤務していたが、逮捕前日に解雇されていた。

2005年9月29日、さいたま地裁は無期懲役の判決を言い渡した。
2006年2月23日、二審の東京高裁も無期懲役を支持し、控訴を棄却した。

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