脚本家、漫画原作者、精神世界運動家、ドキュメンタリー映画監督。1945年秋田県生まれ。
幼年〜青年期を東北・北海道で過ごし、早稲田大学文学部に入学。在学中、 安保闘争・ベトナム反戦など学生運動の嵐が吹き荒れる中、「ワセダミステリクラブ」に所属し、映画評論や詩などを書き始める。大学後、熱狂的なファンであった映画監督・鈴木清順に一時師事し、助監督の仕事を学ぶが、その後脚本家としての道に入る。
87年まで漫画・劇画・テレビアニメ・テレビドラマの脚本を多数手がける。
70年代初頭に、『チベット死者の書』を翻訳・出版したおおえまさのりと共に「オームファンデーション」を開き、精神世界を源流とする自己と社会の変容を実現しようとする運動ーニューエイジーの胎動期に身をおくこととなる。
78年アメリカで行われたネイティブ・アメリカン自身による権利回復運動としての 行進「ロンゲストウォーク」に参加し、そこでホピ族の「ホピの予言」のメッセンジャーであったトーマス・バンヤッカと出会う。
ドキュメンタリー映画『ホピの予言』を監督、政策し、7年の歳月を要して、1986年に完成。
88年夏にはトーマス・バンヤッカのホピ独立国パスポートでの日本入国に寄与し、広島〜北海道幌延のネイティブ・アメリカンの祈りのランニングに呼びかけ人として関わった。
また、漫画家・水木しげるのホピ族との出会いにも関わった。
その後89年から6年をかけて日本とアメリカを頻繁に行き来し、第2部の製作に打ち込むが、95年3月編集作業に入る直前のカリフォルニアで脳内出血のため倒れる。一命はとりとめたものの、重度の後遺症が残った。
現在は神戸にて、療養生活を続けている。