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宮澤章二

(読書)
みやざわしょうじ

さいたまを代表する孤高の詩人、作詞家。
日本童謡賞(昭和47年)、赤い鳥文学賞特別賞、埼玉県文化賞、埼玉県文化功労賞知事表彰などを受賞。
1919年6月11日、埼玉県羽生市弥勒生まれ。
中学時代に映画監督を志し、往復の運賃だけを握り締め、京都在住のある映画監督まで門弟を志願したが、
「中学を卒業してからでも遅くない」と諭され、泣く泣く引き返したことがある。
昭和17年に結婚し、昭和18年、東京帝国大学(東京大学)文学部美学科卒業。
昭和22年から高校で国語教師として教鞭をとった。
大利根町に疎開していた下総皖一(門弟に團伊玖磨や芥川也寸志らがいる作曲家)と知り合い、
彼が作曲していた小学校の校歌や合唱曲の作詞を手がけるようになる。
昭和27年東京都荒川区町屋に移転し、本格的に文筆業に専念。
NHKラジオ歌謡等の作詞、放送台本を執筆。
昭和32年、大宮に移転し、童謡・歌曲・合唱曲・校歌・社歌・市民歌の作詞、童話の執筆を多数手がける。
中でも校歌は戦後のベビーブーム世代と、校歌制定の動きも出始めた事で需要が多く、300校に及ぶ。
代表作「ジングルベル」の訳詞もこの頃に作られた。
また、童謡詩「知らない子」もよく知られている。
更に自由詩も作り、「蓮華」「空存」「あんぶくの臍」「枯野抄」「旅路」「埼玉風物詩集」「風鈴抄」「風魂歌」「出発の季節」「拾遺抄」「まご抄」等、20作弱の詩集を発表した。
北辰図書情報誌連載の中学生のための詩と「埼玉グラフ」連載の埼玉風物詩はライフワークとなり、共に300編以上書き続ける。
日本現代詩人会会員、日本童謡協会常任理事、日本作詞家協会理事、日本音楽著作権協会評議員、詩と音楽の会運営委員、大宮詩人会会長、埼玉詩話会顧問、大宮市教育委員長。
2005年3月11日逝去。享年85。
2006年北辰図書情報誌連載の中学生のための詩から自選した77編の詩集「青春前期のきみたちに」が出版される。
その中から、2010年7月、ACジャパンのキャンペーン広告に詩「行為の意味」の一節が引用される。
2011年3月11日の震災の影響でACジャパンのキャンペーンCMが大量にオンエアされるようになり、メッセージ性が話題となる。
 
「こころ」は
だれにも見えないけれど
「こころづかい」は
見える
 
「思い」は
見えないけれど
「思いやり」は
だれにでも見える

「行為の意味」
―あなたの「こころ」はどんな形ですか?
と、ひとに聞かれても答えようがない
 
自分にも他人にも「こころ」は見えないけれど
ほんとうに見えないのであろうか
 
確かに「こころ」は見えないけれど
「こころづかい」は見えるのだ
それは人に対する積極的な行為だから
 
同じように胸の中の「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
 
あたたかい心が
あたたかい行為になり
 
やさしい思いが
やさしい行為になるとき
「心」も「思い」もはじめて美しく生きる
 
―それは人が人として生きることだ
 
「自分の一歩」
いま わたしの踏みしめる一歩は
だれか他の人の一歩ではない
 
私の足が地上に刻む一歩は
いつでもわたし自身の一歩なのだ
 
他の人より一歩先を歩くからといって
他の人より優れているとは限らない
 
他の人より一歩後を歩くからといって
他の人より劣っているとは限らない
 
自分の目標を定めて歩きだしたのだから
自分の一歩をしっかりと信じて進もう
 
その決意が 最後まで歩く力を生む
出発点には「人生」などまだない
到着点にこそ わが「人生」はあるのだ
 
歩きつづけ 行きぬいた 尊い証明として
 
「流れの中で」
聞ける時に聞いておかないと
決して聞けないコトバがある
 
言える時に言っておかないと
再び言えないコトバがある
 
つかめる時につかんでおかないと
死ぬまで無縁の宝がある
 
みがける時にみがいておかないと
光らぬまま朽ちていく宝がある
 
得たものを失うその数よりも
得られずに失われたものたちの数の多さ
 
わずかな知恵とわずかな努力が
それらに触れ得たかもしれないのに

行為の意味―青春前期のきみたちに

行為の意味―青春前期のきみたちに

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