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安倍晴明

(読書)
あべのせいめい

あべのはるあきら。
漢字の書き方は、阿部清明、阿倍晴明、阿部晴明とも。


生年不詳、寛弘2年(AD.1005)没。延喜21年生もありますが、享年(85)から逆算したもの。
ですが、土御門家記録によると、享年45と書きます。故に、実際は不明。
賀茂忠行と賀茂保憲の弟子であり、特に賀茂保憲から安倍晴明に天文道を譲った。
陰陽道関連の著書多数と伝えますが、『占事略决』だけは晴明の著作である。

平安自体に実在した人物だが、現在では小説・マンガ・映画『陰陽師』の主人公として知られている。

「安倍清明とその歴史」より引用

安倍晴明の出身地については、大きく分けて3つの説があります。 一、 大阪説 二、 讃岐説 三、 茨城説 この中で最も有力なのは、一、大阪説です。 『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。以下、引用文です。
  • 「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しんでんみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
  • その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」
  • 狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。

安倍清明の父

出自が大阪説、茨城説、香川説が有ります伴に、父も安倍益材(尊卑)、安倍保名(伝説)、平将門(ムー)などの説があります。
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