第8代の天皇。 大日本根子彦國牽天皇、大倭根子日子賦斗邇命とも。
大日本根子彦太瓊天皇(孝元天皇)の太子。母は細媛命、磯城縣主大目の女なり。 子は、大彦命、稚日本根子彦大日日天皇(開化天皇)、倭跡跡姫命、彦太忍信命、武埴安彦命。
また、 大彦命は、阿倍臣(安倍氏)、善臣、阿閉臣、狭狭城山君、筑紫國造、越國造、伊賀臣の祖なり。 彦太忍信命は、武内宿禰の祖父なり。
孝元天皇 軽境原宮(かるのさかいはらのみや)趾 ですが 要は近鉄岡寺駅の北横の踏切です。 東から見て踏切手前に 宮跡の伝承地石碑 奥に牟佐坐神社(むさにいますじんじゃ)左、南に近鉄岡寺駅。 Map埋め込みができるようなので 見やすいこちらに修正! 孝元天皇陵については 以前のこの記事で Gmap埋め込んじまえば 拡大表示>ストリートビューでほ追体験できるんだが(笑) 天皇陵 宮跡巡りをしてはいるが、基本26代以前の天皇については存在そのものを疑問視しています(準ずる人物はいたのかもしれないが)。古代史については素人です。個人的に地元数kmあるいは十数km圏内に天皇陵・宮跡が散在しているので巡っ…
日記的に 一日のことなのであれでいいかとおもてたが あまりに長くて テーマー的にもバラバラになりすぎるので前記事 2つに分けました! 万葉文化館に寄った後 この神社に! 午後から寄った明日香八釣の弘計(オケ)皇子神社:23代顕宗天皇近飛鳥八釣宮跡 これが入り口なんだが まあ判らん!
前回は阿倍比羅夫が大彦命の末裔であることをまとめました。源平合戦で活躍した源氏の弓の名手「那須与一」も大彦命の末裔であるという噂を調査してみました。
大和政府と蝦夷の戦いといえば「坂上田村麻呂」が有名ですが、それよりも200年ほど前に蝦夷と戦った人物がいました! その名も阿倍比羅夫(あべのひらふ)です。 日本の火祭り青森ねぶたより
三重県伊賀市にあります、伊賀国一宮「敢國 ( あえくに ) 神社」を紹介しましょう。 御祭神は 大彦命 ( おおびこのみこと ) 少彦名命 ( すくなひこなのみこと ) 金山比咩命 ( かなやまびめのみこと ) 創建は 658年 主祭神の大彦命は、第8代孝元天皇の長子で、西暦358年頃に実在した人物です。 大和朝廷創建期の武人でした。 近くに、大彦命が葬られている古墳もあります。 また、この辺りは秦一族が住んでいたので、少彦名命も祀られています。 秦一族は、古代日本の礎を築いた一族であり、古代ユダヤの失われた十支族の一つとも言われています。 伊賀国といえば、伊賀忍者ですね。 ここには、「しのび…
新潟旅の下調べとして弥彦神社の祭神天香山命を調べて深みにハマっている今日この頃です。 わかったことを以下にまとめます。 ●天香山命の父の解釈が書物によって異なる。『日本書紀』では天火明(アメノホノアカリ)が瓊瓊杵(ニニギ)の兄、『古事記』では瓊瓊杵(ニニギ)の子となっている。『先代旧事本紀』では天火明と饒速日を同一としており、天香山命と宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は異母兄弟となる。 ●平安初期の書物『先代旧事本紀』によれば紀伊国に住む天香語山命は熊野で神武天皇を助けた高倉下命(たかくるじのみこと)と同一人物。『海部氏系図』では天香具山命と大屋津比賣命の子が高倉下。 ●元伊勢籠神社に伝わる…
今月は岡寺駅に集合して橿原西部の遺跡を巡ります。 岡寺駅といっても岡寺までは少し距離があります。 始めに服部先生から古墳の石室内見学についてのお話があり、みんな大喜び。 橿原市の担当の方が普段施錠されている鍵を開けに来てくださるとのことで、まず沼山古墳に向かいました。 途中、牟佐坐神社(むさにいますじんじゃ)に立ち寄りました。 この神社は「延喜式」神名帳高市郡の「牟佐坐神社」とされ、かの壬申の乱にまつわる生霊神を祀った社と伝わります。 沼山古墳まで少し急ぎ足。 高取川がすぐ向かいで直角に曲がっています。 もうすぐ沼山古墳の案内板。たしか初めて。 少し階段を上ります。 馬酔木が咲いていました。 …
任那(ミマナ)や第10代・崇神天皇を紹介し、日本書紀に秘められた謎を明らかにしていく。次の流れで紹介していく。 ・任那(ミマナ)・額角有人とツヌガアラシト・安羅(あら)・崇神天皇(すじんてんのう)・御間城尊の兄・彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)・御間城尊の妻と子供・即位10年9月・四道将軍・即位10年9月・御真木入日子はや・即位10年9月の倭迹迹日百襲姫命と大物主神・即位65年7月の蘇那曷叱知(そなかしち)の派遣 ■任那(ミマナ)不明~562年まで存在したとされる朝鮮半島における地名。広開土王碑、日本書紀に任那(ミマナ)に関する記述がみられ実在する。「伽耶」と同等、あるいは包含関係に…
記紀によると、仲哀天皇は関門海峡を制圧した後、九州に上陸。最後に残された北九州を制圧し日本統一を果たす直前で斃れた。崩御後、神功皇后が北九州と任那を制圧し、畿内に戻り、反対勢力を駆逐。日本統一後の最初の天皇として応神天皇が即位した。 具体的に何があったのか? 経緯①敦賀進出 『仲哀天皇は即位元年閏11月に越からの献上品の邪魔をした異母弟の蒲見別王を滅ぼし、即位2年2月に敦賀の気比宮に入った』 息長宿禰王に庇護された仲哀天皇は、即位直前に琵琶湖決戦で近江の成務天皇に勝利したと考えられる(仲哀天皇勝利への道 - 上古への情熱)。 古事記の崩年干支から成務天皇崩御の年は西暦355年。仲哀天皇の勝利の…
大阪市阿倍野区という地名の起源となった #阿部王子神社。#仁徳天皇 の古墳時代、ヤマト桜井から移住した#阿部氏 の #難波津 拠点でした。境外末社 #安部清明神社 境内には #海人族 としてのこん跡 古代船の錨 #鎮石(孕み石)が残されています 目次 古代の海岸線と熊野街道 安倍清明神社に残る海辺のこん跡 太陽と月と星を見る一族 エミシとヤマト 本文 古代の海岸線と熊野街道 大阪市内の南北に走る上町台地は、古代には、東の古代河内潟と西の難波津の間に突き出した上町半島でした。 www.zero-position.com 古代上町半島のイメージ(国土地理院地図・色別標高図で作成) www.zero…
文字霊日記・3429日目 「男も女も辛(つら)いョッ!!」・・・ ↓↑ 振り替えられた・・ 「邇邇藝=瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」 マゴつく 「磐余彦=イワレヒコ」・・・ ↓↑ 太陽(日光・日曜)ではなく、月(月光・月曜) 天照大神 月夜見 婆(ばば) と 嫁(よめ) の確執・・・・・・のトバッチリは・・・舅も婿も・・・子供も孫もネッ ↓↑ 「建国記念日」 令和六年二月十一日・日曜日 2024年 干支41 甲辰(乙・癸・戊)年 2 月 干支03 丙寅(己・丙・甲)月 六害 11 日 干支42 乙巳(戊・庚・丙)日 00 時 干支13 丙子(壬・ ・癸)日 ↓↑ そもそも「記=言+己」・・・古事…
神武天皇(王獲の化身)ー綏靖天皇ー安寧天皇ー懿徳天皇ー孝昭天皇ー孝安天皇ー孝霊天皇ー孝元天皇ー彦太忍信命ー屋主忍男武雄心命(別名は屋主忍男武猪心命、武猪心命)ー武内宿禰命(母は木国造祖の宇遅比古命の妹の影媛)、甘美内宿禰命(母は意富那毘の妹の葛城之高千那比売)。 武内宿禰命のことを渡来人と言っている人がいますが、渡来人ではありません。しかし、その祖先の神武天皇は王獲という渡来人です。 武内宿禰命は先祖の一人。
文字霊日記・3423日目 「魚+羊」のカンジ・鮮血、生血の臭い・・・ 潜血・先決・専決・・・マナ? 「鮮卑」・・・戦費・先非・船費・・・戦備・尖尾・尖火・千尾(ちを)? 「アザやかなイヤシさ」・・・? そもそも「鮮(セン)」を「あざやか」と訓読する根拠はナニか? 鮮=魚+羊 ⺈+田+灬+羊 =赻=走+少 土+龰+小+丿 セン あざ(鮮)やか あたら(新)しい すく(少)ない さかな・生きている魚・生魚 「羊のにお(臭)い」がする魚 ・・・「羊の血」の「生臭いニオイのする魚(まな・真名)」・・・ 「鮮血の臭い」・・・?・・・生臭坊主・・・戒律破壊の坊主・・・ ↓↑ 魚のなます(膾・鱠・齏・韲) …
「古代史の復元」目次 ※ 第三章の11分割は当サイトによる https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/25/003318 七 第147~166節 親魏倭女王 147 幼少時の卑弥呼 https://mb1527.thick.jp/momosohime.html 148 和平交渉、百襲姫、卑弥呼就任 https://mb1527.thick.jp/N3-18-13wahei.html 149 大乱後の改革 https://mb1527.thick.jp/N3-19kaikaku.htm 150 孝元天皇・開化天皇 https://mb1527.thic…
こんにちは、レペゼン紀の国トムです(^o^) またまた、TOLAND VLOGからです!!!! 今回は、扱うものが多い!!!!! 「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」「出雲口伝」「日高見国」「翡翠の謎」 と、4つ!!!! しかし、これらが最終的にめちゃ繋がってきます!!! ではいきましょう!!!!!!!!! 東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし) ・アラハバキ 東北の神 縄文時代 ・塞の神 道祖神 クナドの神 蝦夷の信仰 ・客人神 ・足の神 スネの神 ・蛇神 ・氷川神社 客人神神社=アラハバキ神社 主祭神に追いやられたのでは ・アラハバキ 土偶とそっくり 東日流外三郡誌(つがるそとさんぐ…
近鉄奈良駅から開化天皇春日率川坂上陵まで、三条通り方向へ徒歩5分強。三条通りのホテルとビルの間に細い参道が北に伸びています。通り沿いに特に看板がある訳でもなく、この先に御陵があるとは知らず通り過ぎていく観光客の姿が多い。 ビルに挟まれた参道を進んだ先に上の宮内庁の看板がある。そこには「開化天皇 春日率川坂上陵一・みだりに域内に立ち入らぬこと一・魚鳥等をとらぬこと一・竹木等をとらぬこと 宮内庁」とある。 参道から開化天皇春日率川坂上陵の眺め。開花天皇とは、実在が不確かな欠史八代(2代〜9代)と呼ばれる天皇の一人で第9代天皇とされる。古事記や日本書紀に系譜は記されているものの、存在を示す痕跡が確認…