1926年7月25日生まれ、父は最高裁判事の奧野健一
1956年 太宰治論 1954年 服部達らと「現代評論」 1958年 吉本隆明らと「現代批評」 1964年 文学は可能か 1972年 文学における原風景 1983年 間の構造
文芸評論家、東京工業大学理学部化学科卒業後東芝に入社し 科学技術者として大河内技術賞、科学技術庁長官奨励賞、特許丁長官賞受賞などを受ける。 著作「素顔の作家たち」や多くの作家の追悼番組でのコメントでは 文学者との交流の広さ、深さを発揮した。
*1 競馬を題材にした創作は、何も小説の類に限らずそれぞれのジャンルにすでにそれなりにあるけれども、ギャンブルとしての競馬に合焦したものが多く、また多いがゆえに定番でそれだけ陳腐な定型になってしまっているところがある。織田作のこの作品などは、それら競馬ものの古典のように語られることもあるけれども、その内実はともかく、それら競馬ものの創作という意味では、確かに早い時期のものであることは間違いない。少なくとも、大衆娯楽としての側面から見た競馬という意味では、ある種の原風景みたいなところはあるだろう。 織田作は言うまでもなく、武麟、安吾に太宰、ええい、檀一雄に田村泰次郎に火野葦平に林芙美子に、いずれ…
山本直人『亀井勝一郎』(ミネルヴァ書房2023)読了。『大和古寺風物詩』(新潮文庫)などを除き、あまり読まれない批評家となっている。亀井勝一郎Who?という人のために本書の出版社によるコピーをアレンジして紹介する。 亀井勝一郎(1907−66) 北海道函館出身。山形高校を経て東京帝国大学文学部美学科に入学。新人会教育部長を務め、政治運動にのめり込み退学。三・一五事件後に検挙され、転向上申書を出し釈放されるが、日本プロレタリア文学同盟(ナルプ)に加わり文芸理論家として活躍。小林多喜二虐殺〜ナルプ解散ののち「日本浪曼派」に参加し、太宰治、保田與重郎らと知り合う。戦時期は美術批評と宗教論、戦後は文明…
ちょっと中身を確認しておきたい奥野健男の『文学における原風景』が近所の図書館になく(もちろん増補版もなかった)、それだけのために買うには古書価が騰っているので困っていたが、調べるうちに、安価で手に入る『奥野健男文学論集』の第3巻に丸ごと入っているのを見つける。
こんにちは。 24/01/02(火)に、Eテレで「100分de名著」のスペシャル編として、「100分de宗教論」が放送されました。今回のエントリーは、1/11(木)21時からのclubhouseルームに供すべく作成いたしました。お読みいただき、ご参加を検討くださいますと幸いです。 www.nhk.jp 採用されたテキストと解説者 1)フェスティンガー 『預言がはずれるとき』(釈徹宗) 2)ニコライ 『ニコライの日記』(最相葉月) 3)杉本五郎 『大義』/城山三郎 『大義の末』(片山杜秀) 4)遠藤周作 『深い河』(中島岳志) 1)『預言がはずれるとき』 1950年代のアメリカで、外星人から「洪…
書き始めたものの、途中で放棄したままの去年のブログを完成させておくヨ。 「100分で名著」特番の情報、間に合ったかな? 期待ほどではなかったけど、面白かったから再放送があったらぜひ見てもらいたいネ。特に片山杜秀が推薦した本、杉本五郎「大義」についての議論が充実している。戦争中のベストセラーだったそうで、吉本隆明と共に同人誌『試行』などでも協働しつつ健筆を奮った奥野健男が高校時代(?)にこの著書に入れ込んで、建て前だけの教員や軍人を批判する根拠にもしていたという。A級戦犯として唯一文官ながら絞死刑にされた広田弘毅を小説「落日燃ゆ」に描いた城山三郎が、杉本五郎を主人公に「大義の末」という小説にして…
展覧会『松田真生個展「FOREST/YOSEMITE―かたちを探して―」』を鑑賞しての備忘録Alt_Mediumにて、2023年12月8日~20日。 東京の住宅街の景観を切り取った「FOREST」シリーズと、ヨセミテ国立公園で撮影された「YOSEMITE」シリーズを交互に組み合わせて展示し、両者の共通性を浮かびあがらせる、松田真生の写真展。 メインヴィジュアルとして、《FOREST 04》と《YOSEMITE 05》とが併置される。《FOREST 04》の画面右手前には、白い壁に接する植え込みに剪定された低木が並ぶ。駐車スペースのアスファルトを挟み、奥に住宅の正面玄関がとその脇の植栽が見える。…
1978年6月、光和堂から刊行された窪田精(1921~2004)の評論集。 目次 ・第一章 廃墟のなかから宮本百合子「歌声よおこれ」/敗戦直後の共産党本部/トラック島より帰る/江口渙と野沢富美子/第一期中央党学校/米よこせデモと食糧メーデー/蔵原惟人「芸術論」と宮本顕治「人民の文学」/党東京地方文化部書記丸山邦男/『新日本文学』創刊準備号/新日本文学会創立大会/党東京地方オルグ ・第二章 2.1闘争前後全医協東京地方書記局/全医協幹部の人々/都立駒込病院通り/文学青年宇田川次保/共産党本部二階大広間での水曜会/新日本文学会創作コンクール/中野・荒・平野の「政治と文学」論争/大隈講堂での第一回小…
伊藤整は、英文学者・翻訳家・小説家・詩人・評論家だが、存命中に小説で文学賞をもらったことが一度もなく、死んでから『変容』で日本文学大賞をとっている。 伊藤の小説は、初期には純文学的・私小説的なのだが、戦後1950年代から「誘惑」とか「感傷夫人」とか「火の鳥」とか、通俗小説じみてくる。しかるに当時の批評は、『火の鳥』を、組織と人間を描いた作品などと純文学扱いしていた。最後まで読まれていたのは『氾濫』だろうが、これも何とも位置づけの微妙な作品である。 『泉』も微妙である。主人公は富士大学の教授の英文学者・軽部正巳で、40歳を少し出たあたりか、妻の秋子はえらい教授の娘で、父が作った清行会という団体の…
自分、昨今のあの「メイド」というキャラにほとんど何もグッとくるものを感じない程度には老害化石脳なのだが、お好きな向きのいまどき若い衆などにとってはあれ、かつての「女中」に喚起されていたような階級的差別意識などは、今日的に転生しているものなのだらうか。 「白樺派の多くにとっては、女中との肉体的な関係をもつことが、最初の深刻な人生問題であった」と、鶴見俊輔はうっかり喝破していたが、そしてまた、奥野健男はそれをさらに「ねえや」と、いま一歩踏み込み、微分したところで、家屋の造りなどもからめて立体的に論じようとしていたはずだが、さて、いまどきの「メイド」にはそのような人文系由来のたてつけに置いてみての、…
龍飛に着いたッピ よいダジャレだと思うけれど、語尾に「ピ」が着くだけで納沙布岬に着いたような感覚になる ロシア海軍の気配を感じる しかし、日露戦争中の日本海海戦では結局バルチック艦隊がこの龍飛岬付近を通ることはなかった 今から皆さんに、北方領土に関するクイズを出すピィ~♪まずは初級編だピ!【第1問】北方領土を不法に占拠しているのはどの国でしょう? — 北方領土エリカちゃん (@hoppou_erika) 2015年2月9日 龍飛岬といえば太宰治「津軽」における、龍飛岬についての記述がすごく印象的であった 今まで読んだ紀行文の中では抜群に美しく、心を揺さぶられたのを記憶している ここは、本州の極…
1. まず、「属性叙述」とは、どのようなものか? 文による叙述に2つの対立的な様式が認められるという見方を、国語学/日本語学において導入したのは、佐久間鼎である。佐久間は、叙述の働きをする文を「いひたて」の文 と呼び、その内に、「物語り文」・「品さだめ文」という区別が存在すると説いた。 「物語り文」は、「事件の成行を述べるといふ役目に応じるもの」であり、「品さだめ文」とは「物事の性質や状態を述べたり、判断をいひあらはしたりといふ役割をあてがはれるもの」であるとされた。彼の見方で注目されるのは、物語り文と品さだめ文におけるこうような「機能上の相違」が文の構造に反映されると論じている点である。例え…
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 「夏になると女の人の声にひびきがはいり、張りを帯びてうつくしくなる」。声、二の腕、あくび、死顔、そして蛇、齢六十を超えた作家が抱き続ける「女ひと」への尽きぬ思い、美男というにはほど遠い自分が女性の麗しさから離れられぬ哀しみとおかしみを軽やかに綴る。晩年の犀星ブームを導いた豊潤なエッセイ集。 廃藩置県まで加賀藩の足軽頭であった父親は、女中を妊らせて一人の子が生まれました。世間の目から非難を逃れるため、真言宗雨方院の住職である室生真乗へ相談して、その内縁の妻に引き取らせることになりました。この子供が室生犀星(1889-1962)です。この義母は、…
去る6月11日(日曜日)、【オルかな】主催のサードオピニオン会in二俣川が開催され、精神疾患・精神医療や向精神薬の被害当事者およびその家族、支援者の方々にご参加をいただきました。当日の様子をご紹介します。冒頭、MCの中川聡(全国オルタナティブ協議会代表)が近況を報告しました。・地方で支援している親子の、息子が精神科病院に入院中(医療保護入院)。保護者となっている親が余命宣告を受けている。この場合、遺産相続がどうなるか心配。・この件で病院とグループホームの中間のような場所や支援が欲しいと思ったが、ドイツにはそのような人たちが暮らす集落として、クラインガルテンと呼ばれる畑つきの家が全国で50万戸あ…
1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹…