1920年 兵庫県生まれ。1940年 徴兵検査に甲種合格、1941年3月に岡山連隊に入営、後に工兵隊へ転属。1943年1月、独立工兵第36連隊に配属、同年4月、ニューギニア島に派遣される。部隊は敗走をかさねながら飢えとマラリアに苦しみ、千数百名のうち生き残ったのはわずか30数名だった。奥崎は飢えて醜い姿で死ぬぐらいなら敵に銃殺してもらおうと敵兵駐屯地に入るが、そこで意識不明となり倒れ捕虜となる。その後、オーストラリアのカウラ捕虜収容所を経て、日本に送還。
戦後は、みずからを「神軍平等兵」と名乗る。1969年、皇居での一般参賀で「ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と叫びながら昭和天皇に向けパチンコ玉を発射、暴行罪で懲役1年6ヶ月の判決を受ける。なお、この「ヤマザキ」とはニューギニアで倒れた戦友の山崎一等兵のことである。
晩年は「ゴッドワールド」建設を目指す。
2005年6月16日、神戸市内の病院にて死去。享年85歳。最後まで罵倒を忘れなかった。