故・寺山修司が主宰した「演劇実験室」
寺山の戯曲を上演した早稲田大学生の劇団「仲間」の演出家東由多加と知り合ったことを契機に、「見世物の復権」を掲げ、グラフィックデザイナーであった横尾忠則と妻の九條映子(後に今日子)が中心となり1967年に結成された。東と横尾は天井桟敷館開館前に退団したが、九條映子は、離婚後も、最後まで理解者として、公演・映画などの製作者として共に歩み、「寺山修司の世界」構築に尽くした。
第1回公演を「青森県のせむし男」とし、1969年には天井桟敷館を開館、さらにドイツでの海外公演と進展し、1983年の寺山の死去後に解散した。